CUBA日記

(これは現地で書き続けた日記を起こしたものです。読みにくいかと思いますがよろしければ、ご覧下さい)

 

2000年春、東京渋谷の映画館で観た1本の映画。

『BUENA VISTA SOCIAL CLUB』。発端。

CUBA行きてぇぇぇぇ!

10月、会社のメインスポンサーの生命保険会社破綻。

パスポートとVISAカードを揃える。

インターネットでCUBA情報を調べ始める。

徐々にエスパニョル(スペイン語)を独学し始める。

11月30日退職。

 

December 27, 2000

Dear Sir

Hello,my name is Yuichi Takahashi(=a Japanese man,age=34).I want to stay at your POV from January (about)11,2001 for about 4 weeks.(My holiday is everyday.Because I lost my job.) Can I stay?Please leply.

Hasta la vista!

 


Hello Yuichi Takahashi,
Yes, we have a room available for you from (January about 11,2001 for 4 weeks).
This is a comfortable room with  private bathroom (with hot water and shower), air conditioning,
frezer room. 
Our rate is $20 USD per room/nigth.
We also offer breakfast for $3 per person.  This is a standard breakfast with tropical fruits,
natural juices, butter, bread, eggs, and coffee or tea. 
We are located in the neighborhood Vedado (actually city center).  We are only 200 meters from
the Malecon Habanero, Melia Cohiba, and Habana Riviera hotels. Nearby you can find restaurants,
paladares, night clubs, cafeterias, and cabarets.
Old Habana is only 5 minutes away by car and very easy to visit..
Also, if you are thinking of visiting other tourist destinations in Cuba (e.g. Trinidad,Vinales,
Santiago de Cuba...), we can help secure accomodations if you like.  Please let us know...
WE NEED THAT YOU CONFIRM IT AS SOON AS POSSIBLE IN ORDER TO KEEP YOUR ROOM LOCKED.
Included Services:
Upon your arrival you'll be given orientation maps, sightseeing
recommendations, and advice on where to eat, how to get around, etc...
All the payment is made in cash (USD), but if you have credit card you can obtain cash in any of
the hotels of the neighbourhood (no american card).
Please,reply this message as soon as possible.
Sincerely.
Ignacio.

 

                            December 29, 2000

Dear sen~or Ignacio:

I would like to make a reservation as follows;

 Check-in : January 11, 2001(arrival=21:30)

 Check-out : February 7, 2001(departure=15:25)

 Number of people : 1

 Name : Yuichi Takahashi

Address : AsagayaMinami,Suginami-ku,Tokyo,Japan 166-0004

 Phone : ◎◎-◎◎

 Credit card : VISA

Please reply.

Sincerely yours,

Yuichi Takahashi (I am studying Espan~ol, now.)

Hasta la vista !

 

Hello Yuichi Takahashi,
You have your reservation from 11/01-7/02/2001.
Upon your arrival at the airport:
At immigration: As renting a private home in Cuba is now legal, you can safely say at the
airport that you're going to stay in our apartment, and you must write down on your tourist
card our address. Getting to AOV from the airport is quite simple, you can take a taxi and give the
driver our address:
Calzada, Vedado.
Phone: (if calling from outside Cuba, dial 53-7 first)

When you get to the building, you can push a button on the front panel and talk to us or you cantake the lift and go directly to the apartment.
Best regard.
Ignacio.
Date:  Wed, 29 Nov 2000 16:26:40 +0900

これでCUBAの民宿(カサ・パルティクラール)は確保した。ここでコッ恥ずかしい間違いに気付いた。11月にメールを送ったのに俺の日付がDecember(12月)になっている。おまけにreplyの綴りが間違ってるし。向こうはびっくりしたろうなぁ。 

12月1日(金)

昨日はサルティンバンコ観た。感激爆笑感動うるうる!でした。

 

CUBA大使館行った。ツーリストカードなるものの申請のため。

地下鉄日比谷線神谷町駅で降りて地図を見て歩き出す。5分・・・。逆じゃん!

日本でこれじゃ先が思いやられる。

引き返しCUBA大使館を何とか見つける(解りにくい地図だな)。

普通のビルだな。「引く」か。ドアを引いてみる。ガタ。ステンレスとガラスのドアが。

開かないじゃん。No puedo abrir la puerta !(ドアが開かないヨォ!) 何やら小さな張り紙。

日本語だ。「御用の方は右のブザーを押して下さい」、と。押す。ガッチャ。すかさず開いた。

セキュリティーがしっかりしてるのかしてないのか、さっぱりわからん。入る。

すぐ右側に「受付」と書いた玄関と同じドアが。さらに入る。

ドアから1.5メートル真正面に受付のお姉さまが鎮座ましましている。

益子直美似の素敵な女性なのだ。中には日本人のおぢさまが一人、この女性と談笑している。

それに割り込む感じで俺「ツーリストカードをお願いしたいんですけど」

(勝手に)直美「申請でいらっしゃいますか?」

俺「はい」

直美「そこの用紙に必要事項を記入してください」と

俺の左後方のソファの隣の机に乗っているコピー用紙を指差す。

受付の机の奥に玄関を映す監視カメラのモニターがあった。

成る程これで見たのか。ということは俺は第一次オーディション合格といったところだな。

ソファに座り備え付けのボールペンを手に取る。ずいぶんあっさりした申請用紙だな。

A4の大きさのピンク色したプラスチックの台(上側にパチンと紙をはさむクリップがついてる奴)

に申請用紙が、しかもただのコピーが15枚くらい留めてある。

一番上にはたぶん見本だろうか、書き込み済みの用紙が。

「英語か西語で記入願います」。迷わず英語で書き込む。

まだエスパニョル(スペイン語)は2週間しか勉強してないので無理だ、と自分に言い訳をしながら。

書いてる間コピー機の修理の男性1名、カードの受け取りの中年サラリーマン1名ご来場。

記入を終え直美のところへ(と言ってもすぐ目の前だが)差し出すと

「こちらへお願いします」と俺の左手のガラスに仕切られた病院の受付のような小部屋

(推定四畳半)を指差す。パチンコの現金引換所と言ってもいいかもしれない。

ガラスの向こうには中年の女性が事務担当なのだろう、待ち構えている。

4×4の顔写真とパスポートと申請書を出す。チャッチャッチャッと手際よく処理して

「5,025円いただきます」と。

一万円札と100円玉を出したところで本国の方なのかCUBA大使なのか

恰幅のいい男性がエスパニョルでこの事務の女性に話しかける。

ほとんど聞き取れない「驚速」なエスパニョルで話し始める二人。

と、背後で電話が鳴り、これまた直美が「メタ早」なエスパニョルで話し始める。

わからん!エスパニョル恐るべし!頭痛がしそうだ、と思っていたときに金庫からおつりを戴いた。

「一週間後にまた来てください」と事務的に告げられる。

「はぁ」。パスポートは預けるのか。

帰り際に『GRANMA INTERNATIONAL』というCUBAの新聞の英語版をもらって帰る。

エスパニョル版は置いてなかった。

すごぉく狭い空間ですごぉく事務的に手続きは終った。午前10時半。

それから新宿警察署に行って免許の運転更新に行った。

教訓=大使館に行ったからといって大歓迎は受けない

 

一週間後ツーリストカードをもらった。ごく事務的に。

 

航空券も買ったし保険にも入ったしVISAカードも作ったしパスポートもあるし宿の予約確認書もプリントアウトしたし、これで書類関係はそろったのかな?

 

「地球の歩き方」「エスパニョル〜ハポネス・ハポネス〜エスパニョル辞書」「旅行会話集」を揃えた。

「LONELY PLANET」は高いので図書館で必要と思われるところをコピーした。

エスパニョルが大変だなぁ。徐々に「NHKスペイン語スタンダード40」で勉強してはいるが、果たして本当に現地で通じるのか不安だ。

 

Feliz Navidad y Feliz an~o nuevo!

Vamos a ver a 11 enero 2001 !

 Yuichi Takahashi

uhyozowH・P

 

年も暮れ21世紀がやってきた。忘年会新年会。もうこれでみんなに会えるのは最後になるかも、と思いつつ話に花が咲く。

 

遺言 高橋裕一

もし私が地球と融け合って(死んで)しまったらこのPCのメールソフトに登録してある全ての方に知らせてください。

そして以下のように要望します。

 

@葬式は行わず火葬の後、骨をどこかの(江ノ島でもキューバでも)海に流してください。

A使える臓器があったら使ってください。(臓器提供カードは持ってませんが)

B保険金は全額家族に渡してください。AIU保険、VISAカード保険、コープ東京保険、日動火災に入っています。

CこのVAIO一式と私の預貯金は全額、金澤眞とその家族に差し上げます。

Dデジタルビデオカメラ一式は高田勉に差し上げます。

E部屋の中のその他のものは大騒動のものです。欲しい方がいたら形見分けでもしてください。前記金澤眞と高田勉にまかせます。

以上2001年1月10日

高橋裕一

 

 

Estimado Senor Yuichi Takahashi,
No le he contestado antes pues tengo problemas con la conexion a internet. Muchas gracias por la postal y le envio mi mas cordiales saludos y prosperidad para el ano que comienza.
Nos vemos el 11.
Saludos.
Ignacio


1月10日(水)

出発を翌日に控えてプリンターが壊れた。印字しないのだ。向こうから出せたら出すためのみんなの電子メールのアドレス帳と迷子札、各種カードの緊急連絡先などプリントアウトした後でよかった。CITYBANKで300ドル分両替しに行くついでにヨドバシカメラに修理に出しにいこう。お届けは2月10日以降でお願いね。デジタルカメラの安い奴(1万円)を買った。

さて、準備はととのった。

 

1月11日(木)

フライトの時間は15:25だが同じ日にバリへ出発する海外大ベテランのJKさんのアドバイスを受けるため朝から空港入り。JKさんは10:00のフライトだ。この人は本当に大ベテランなのだろうか。CITYBANKのATMでは大渋滞を引き起こし、お金を忘れたので俺がおごり、荷物はぶちまける。こんな人のアドバイスで無事たどり着けるのか不安になる。でもこういう図太さが旅行には必要なんだろうと無理やり自分を納得させる。JKさんのアドバイスで機内は乾燥してるから、と、のど飴を買い、水を準備し食料を仕入れる。機内ではそんなに食事が出ないそうだから。ドタバタと慌しくJKさんは旅立ってしまった。

さて。

とりあえずうんこしよう。JKさんのアドバイスで重い手荷物は一時預かり所に預けているので身軽だ。空港でうんこ3回した。13:08、持ってきたMDで「YellowYellowHappy」を聞いて泣きそうになる。いよいよ初めての海外旅行が始まる。ちなみに荷物預かり賃は500円ちょっと。

焦った!日本人出入国カードというものを記入して出国用は持っていかれる。帰国用は帰るまで保管しなければならない。パスポートと航空券を提出しチャッチャッと返してくれる。ふと気付くと帰国用カードをもらっていない。あれ、どこだ?もらってない、あれ?あれ?焦る!なんだパスポートにホッチキスで留めてあった。顔から汗が吹き出る。成田空港は暑い。この暑さ、早くもCUBAだ。

コンチネンタルエアラインのマイル獲得のための書類に記入していると、電話で申し込める、と書いてある。持参の携帯電話でかけてみる。フリーダイヤルはつながらないようだ。公衆電話で再び。混んでいるらしく15分位、のどかな音楽を受話器を握りしめながら聴いた。つながった。やわらかい声の男性だ。「マイレージ貯めたいんですけど」「お名前を・・・」名前住所渡航先などを述べる。「それでは会員番号を申し上げます」「あの、ここに番号の用紙があるんですけど」書きかけの書類の番号だ。「あ、それは廃棄して下さい」「は?」「今から新しい番号を申し上げます」「はあ」会員番号をメモする。「あの、帰りもコンチネンタルです」「はいはい」どうやら情報は筒抜けらしい、って当たり前か。「それでは往復のマイルを加算しておきます。正式会員証は7〜8週間後にお届けいたします」「はあ、それじゃあヒューストンとかカンクンで特別な手続きは・・」「手続きは必要ありません。こちらで済ませます」「へい」思わず「へい」と言ってしまった。「ありがとうございます。良いご旅行を」「はい、ありがとうございます」マイルは電話で申し込むのが楽ちんかも。

コンチネンタル乗った、真っ先に乗った。手荷物が大きいので早く頭上の棚に入れたかったから。ひとりでひとつの棚を占領しちゃった。他の乗客の皆様ごめんちゃ。

座席番号34F。通路側で良かった。15:25予定通り飛行機はヒューストンへ動き出す。離陸のときのあの感覚は国内便でも国際便でも嫌な感じだ。座席は満席。日本人は俺の周りにはあまり乗ってないようだ。16:30、メニューが配られる。17:00、飲み物とピーナッツ。「アポジュース、プリーズ」と頼んでおいてジュースをもらったら「グラシアス」と言ってしまった。混ざってる混ざってる。左となりの日本人女性とアメリカ?人男性カップルは寝てる寝てる。17:30、ディナーが配られる。魚か豚かどちらがいいか迫られたので「ポーク、プリーズ」。おぉっ、豪華!シルバーのスプーンフォークナイフ爪楊枝塩コショウまでついてるぅ。びっくり。すかさず後から飲み物が出るようだ。「ミルク」と言ったつもりだったが出てきたのはビール(アサヒスーパードライ)だった。面白いから黙ってた。俺は酒は飲まないのでCUBAの宿のイグナシオさんへの土産にしよう。荷物が重くなるが。しかし何だよ、「食事出ないから持ってったほうがいよ」というJKさんのアドバイスは。パンやお菓子を買ったのに。重いだけじゃん。機内食の中で一つ解らなかったのが、ゼリーの入ってるような平たい容器に入った「100%PURE WATER」と書かれたオーストラリアの水だ。飲むものなのか指先を洗うものなのか。周りの人は誰も手をつけてない。悩んでるうちに下げられてしまった。謎だ。

34年間生き続けていて初めてウォークマン(MD)を買った。エスパニョルの勉強のためだ。それがこんなに役に立つとは思わなかった。結局エスパニョルの勉強にはほとんど使わなかったのだが、お気に入りの音楽が10時間以上のフライトの辛さを和らげてくれる。ヒューストンまであと4時間というところで「サンドウィッチ?オア、ライスボール?」サンドウィッチかおにぎりかと聞かれたので「サンドウィッチ、プリーズ」。それにしてもおにぎりは「ライスボール」か。情緒も何もあったもんじゃないなぁ。アメフトみたいだし。すかさず飲み物だ。今度は「ミ・ル・ク」。出てきたのはまたもやビール(アサヒスーパードライ)だった。面白いから黙ってた。でも、さらに荷物は加重。おかしいなぁmilkで通じないのかなぁ、エスパニョルでlecheとも言ってみたがまるで通じてないみたいだし。自信なくした。というか、始めから自信など無い!これでいいのだ。ヒューストンまで90分。「オムレット?、オア、ラザーニア?」「オムレット、プリーズ」まずい!蝋のサンプル喰ってるみたいだ。ラザニアにしとけばよかった。「隣のラザニアは美味そうに見える」という格言知ってる?知らん。

ヒューストン着。荷物を引っ張り機外へ出る。次は何処へ行ったらいいのだ、さっぱり解らない。「トランジット、トランジット(乗り継ぎ)」と係官に向かって叫んだら「ゴーストレイト」と廊下を指差された。アメリカ入国でごった返す入国審査所?を右に見て独りトボトボと長い廊下を歩き出す。誰もいない。どうしたらいいんだ?あちらこちらの扉を開けまくり入りまくったがさっぱり解らん。もしかしたら入っちゃいけない空間に入ってしまったかも知れない。仕方が無いので元来た廊下を戻る。すると向こうから5〜6人の客とアテンダントとおぼしき女性(日本人ではない)がやってくる。彼女が流暢な日本語で「お客様どちらまで?」と聞いてくれた。助かった。「トランジットです」「どちらの便ですか」「コンチネンタルの」「1955便ですか」「はい、そうです!」「はい、ゲートはD-8ですが、まだ3時間ありますのでトランジットパッセンジャーラウンジでお休みになりますか?買い物等はできませんけど」「はい、お願いします」。他のお客さんはエアフランスや色々な航空会社の飛行機に乗るらしい。カンクンへの乗り継ぎは俺だけか。不安。

でも、ここで解ったことが一つ。何でも自分で解決しようとがんばらないこと。人に聞こう。大ベテランのJK氏に空港の人といえども信用ならん、と言われていたので控えていたが、やはり聞くしかないな。なにしろ「初めてのお使い」なのだから。

3時間待ってカンクン行きの飛行機に乗り込む。小さい、狭い。荷物が棚に入らない。アテンダントがキャリーカートをはずせと言う。仕方が無い、はずすか。次の乗り継ぎのメヒカーナ航空もこの分だと小さそうだからな。俺の隣の乗客は体がデカイ。二人ともデカイ。ただでさえ狭いのに大変だ。でも2時間だから我慢しよ。満席だが日本人は見渡すところ俺だけらしい。不安。機内で書く出入国カードが面倒だ。書いてしまってから間違いにたくさん気付く。トランジットまたで書き直そう。ヒューストンでは空港の外に出ないで済んだのでカードの提出はしなくてよかった。今日は一日に2度夜を体験した不思議な日。

カンクンはハードだった。コンチネンタルを降りる。出国待機所で航空券を握り、待つ。ふと周りの客の持っている航空券を見ると俺の持っているものとは違うようだ。俺の券をよく見ると座席番号もゲート番号も書いてない。不安になり、空港職員に聞いてみる。「エスト(これ)ビエン?(OK?)」「ノ、ティエネ ケ イーラ アエロカリーベ(アエロカリベへ行かなきゃだめだよ)」。え?何?あえろかりーべ、って?俺の持ってる券はメヒカーナ航空の券だ。焦る。アエロってくらいだから航空会社なんだろうと思い「アエロカリーベ エス ラ コンパニーア?(アエロカリーベって会社のこと?)」「シィ(そうだよ)」「ドンデ(どこ)?」「ここを真っ直ぐ行って、空港を出て右のビルにあるよ」と言われたように感じた。NHKエスパニョル講座が早くも役に立っている!40分前、焦る。走る。出入国カードを書かなければ通れないらしいが俺の必死の形相が出入国審査官を圧倒したらしい。ほとんど記入してないにもかかわらずハンコを押してくれ90日と書いてくれる。成る程、これで90日はメキシコにいられるのか、ってCUBAに行くんだろ!アエロカリーベはどこだ?隣のビルに20数年ぶりの全速力で走り入りカウンターを見渡す。カンクンは蒸し暑い。おまけに外は夜(20:00位だったか)で真っ暗だ。でも焦る気持ちが不安を吹き飛ばしている!

ない!カウンターにはアエロカリーベのプレートがない。メヒカーナ航空のプレートを見つけて走りより「ドンデ アエロカリーベ?」単語をつなぎ合わせただけだが通じてるようだ。「メヒカーナのお姉さんはカウンターを背に自分の左を指差す。「グラシアス!」飛んでいく。が、ないよぉ、アエロカリーベって、何?再びそこにいる人に聞く。今度は全く逆の方を教えられた。どうなってるんだ!走る。またもや、ない!また聞く。ここから回り込め。と言う。あった!アエロカリーベ!もう半ベソ状態である。25分前!カウンターにはイタリアーノとおぼしき家族連れがもたもたしている。俺は券を職員に見せ自分の腕時計を激しくたたき時間がない!というゼスチャーで訴える。職員はもうちょっと待て、というゼスチャーで答える。15分前、やっと航空券を引き換えてもらう。荷物を預けろという。メキシコの航空会社には荷物を預けない方がいいと、日本で調査済みだったが四の五の言っている暇はない。「ポルファボール、ポルファボール、ポルファボール(お願いします×3回)」と荷物を指さし念を押し、走る。ゲートは今度は同じビルから入るのだ。カンクン空港、設計ミスじゃねぇか?レントゲン検査をパスし7分前滑り込みセーフ。自分の席に腰を下ろし一息。と、ここでさっきのカウンターでのやりとりが思い出される。あの職員に確かカンクンまでの半券を出しホチキスでとめられた。そこまでは覚えている。で、そのホチキスでとめた券を俺は今持ってない。えっ?それって必要なものなんじゃないか?落としたのか?それとも始めからもらい損ねたのか?嫌な予感が頭をよぎる。吹き出す汗。と、俺に話しかける奴がいる。「ハポネス(日本人)?」あわてて「シィ(ええ)。ハポネス」彼はイタリアーノのルーカスと名乗った。彼のおかげで不安から解放され話ははずむ。イタリア語とエスパニョルはほとんど同じなので言葉には困らない、とか、CUBAは二回目だ、とか、俺も日本の話をした。もちろん辞書を引きながらであるが。1時間のフライトはあっという間に過ぎた。問題は何ら解決されてないうちに。

ついにCUBAだ!おんぼろバスに乗り入国審査所へ。ルーカスは真っ先にバスから飛び降り審査所の無機質な箱形のボックスに並ぶ。さすがに2回目だからどこに時間がかかるか知っているのだろう。「アディオス ブエン ビアッヘ(さようなら、よい旅を)」とお互いに別れる。俺は最後の方に並ぶ。いよいよ俺の審査だ。パスポートとここまでの航空券とツーリストカード、宿の予役確認書を提出する。すると審査官はもう一つ何か見せろと言っている。やはりさっきの半券が必要なのか!と判断し「ノ テンゴ。ポルケ アンテ エン カンクンアエロプエルト(持ってない、さっきカンクン空港で)」と言ってあとは身振り手振りで説明した。通じてるのか通じてないのか解らない。彼は見せろ見せろの一点張りだ。「ノ テンゴ、ノ テンゴ(持ってない、持ってない)」と顔面蒼白で主張し続ける俺。ついに審査官は「エスペラ、シエンタテ!(待て、座ってろ!)」と強い口調で命令する。えらいことになった。やっと到着したのに・・・。10分程待ち、俺以外の全員の審査が終わると別のボックスに行くように言われる。ボックスは5個くらいあったように記憶している。銃殺でもされるんじゃないか、とぼんやり思う。3番ボックスに連れて行かれる。さっきと同じ書類を提出し通された。???通ったのか?通ったのだ。ボックスを抜けると俺の荷物だけがポツンと投げ出されていた。虚脱感で体が動かない。のろのろと荷物を持ち上げた。まだ何か書類を書かなければならないらしい。書類を書こうと筆記台に向かおうとすると職員がもう書かなくていいから、と言う。何とかCUBA入国完了しました。(この件は俺の勘違いだったことが後にわかるが、それはまだ先のこと)

空港の外に出ると待ってましたとばかりにタクシーの勧誘がくる。「クアント?(いくら?)」と聞くと「キンセ ドラール(15ドル)」と言う。日本で調べた値段と同じだったのでOKし、乗り込む。運転手に宿の住所を見せていると一人の男が来て窓越しに1ドルくれ、と言ってきたが無視した。タクシーはシェ・ゲバラのオブジェの横を通りサイドカー付きのバイクに追い越され23:00前、宿に到着した。7階建てのビルだった。あらかじめメールでブザーを押してくれ、と言われていたのでブザーを探すがよくわからない。5分くらいかかってブザーの場所がわかり、ブザーを押す。インターホンで「ソイ ユーイチタカハシ、エンカンタード(高橋裕一です、初めまして)」と言う。「ウン モメント(ちょっと待って)」と返事。振り返るとタクシーはまだ待機してくれている。運ちゃんに大丈夫だよ、とサインを送ると走り出した。CUBAのタクシーはお客様第一主義が徹底してるらしい。感心、感心。

セニョールイグナシオと対面。ずいぶん時間がかかったなぁ、と言われたのでことのあらましを説明し笑った。ま、なんとか無事にたどり着いたね、たどり着いたよ。日本との時差は14時間。現在の日本時間はプラス14時間だ。部屋に通され説明を受ける。朝食の時間を聞くと何時でもいいと言う。それなら8時がいいと告げる。イグナシオの経営する宿は7階だが、最初の3日間だけは階下の6階に泊まってくれと言われる。6階はカーリーおばさんが経営している宿だ。セニョーラカーリーと握手を交わしベッドにバタンキュー。疲れた・・・。シャワー浴びたい。

1月12日(金)

朝6:30に目覚めてしまった。まだ外は真っ暗。明かりをつけ部屋を見る。キレイ。調度品もおしゃれだ。昨夜浴びたシャワーは固定なので浴びにくかったが。部屋にはテレビまである。つけてみた。ザー、まだ放送してなかった。7:00頃部屋の外でごそごそ音がしている。カーリーおばさんが出て行った。何処に行くんだろう。何か仕事でも持っているのかな。8:00きっかり7階に上がりドアをノックする。イグナシオのおかあさん、つまりグランママに案内されテーブルに。セッティングは3人分だ。手前の席に着く。目の前にはフルータス(フルーツ)がどっさり入った大きなお皿が置いてある。食べ始めていいのかな?迷っていると、ガチャ、と後ろの部屋のドアがあいた。中から大柄の男女が出てきた。とりあえず挨拶だ。「エンカンタード、メジャモ ユーイチ・タカハシ。ソイ デ ハポン。ムーチョグスト」覚えたてのエスパニョルで話してみる。「エンカンタード」「エンカンターダ」握手をする。あとの二人分のセッティングは彼らのものだった。二人はスイスの夫婦で旦那さんはマークス、奥さんはソニア。若そうだ、俺よりも。スイスって英語圏だよなぁ、確か。マークスはエスパニョルがうまいなぁ、グランママとの会話がさっぱり解らない。ソニアもうまいがマークス程ではないらしく、所々解らない単語をマークスに聞いている。俺は100%解らないよ。自分の言いたいことは辞書を見ながら言えるけどね。彼らはあと2泊したらレンタカーでCUBAの田舎の方へ行くという。成る程、彼らが出て行ったら、今彼らが居る部屋に俺は引っ越すことになるらしい。朝食はたっぷりのフルータス、フゴ・デ・ナランハ(オレンジジュース)、カフェ、レチェ・カリエンテ(ホットミルク)、パン、バター、たまご(俺はずっと目玉焼きにしてもらっていた)、トマト、レタス、バナナなど。足りなければじゃんじゃん持ってきてもらえる。マークス夫妻と10:30頃までCUBAの観光地や言語の話題で盛り上がった。奥さんのソニアは「コマッテナイネ!」と訳の解らん日本語が口癖だ。

昼、ジャグリングの道具と地図とペットボトルに水(水道水)を入れて持ち、街へ出る。散歩がてら近所に何があるか確かめよう。POVのとなりに崩れかけた神殿のような建物がある。いい雰囲気。歩く。歩く。暑い。暑い。吐き気がする、めまいがする。品のいい住宅街で木陰の塀にへたりこむ。今度は汗が冷える。木陰はなんと涼しいことか。湿度が低いんだな。寒くなってきた。まずい、いきなり体調を崩したか?なんとなく通りを眺めていると制服姿の学生さんがたくさん行き来している。女の子はみんなミニスカートだ。日本と同じじゃん。暑いのに毛糸の上着を着ている娘もいる。日本と同じじゃん。ひとつ日本と違うのは、みんな足がスラリと細い。なんだか少し元気が出てきた。散歩再開。ピザ屋を見つけた。昼飯にしよう。腹はそれほど減っていないが持病の薬を飲まなければならない。直径20センチくらいの焼きたてのピザ、あ、エスパニョルだとピサ、だ。人のよさそうなおじさんが焼いてくれた。「クアント?」「トレインタセンターボ」「????」とりあえず1ドル出してみる。お釣りが50のコインと10のコインが2つ帰ってきた。PIZA$6と出ていた。日本にいるときにペソもドルも$で表す、という情報を得ていた。ということは1ペソ=5センターボ、ということか?ま、いいや、徐々に解るだろう。6ペソって1ドルの10分の3?40円くらいか?安いなぁ、昼飯は今後ここで食べることにしよう。情報ではCUBAは食事がメチャ高い、と聞いていたのでびっくり。あ、たぶんレストランは高いんだな。どれ、がぶり。・・・マズイ!でも地元の人がみんな買っていく。地元の人と同じ物を今俺は食べている。何だかうれしいのだ。おじさんに店はいつ休みなのか聞くと、日曜だという。土曜日もやってるんだね。

散歩を続けよう。地図を見ながらパセオ通りを歩く。昨日の夜タクシーから見えたシェ・ゲバラのオブジェが見たい。歩いていると二人の青年に声をかけられた。パブロとウイリアム、21歳と22歳。街を案内してくれると言う。金目当てだろうな、と思いながらも彼らのハイテンションなノリが面白いので着いていく。彼らの仕事はポストマン。今日から三日間はバカシオネ(休日)だという。シェ・ゲバラのオブジェがあるプラサ・デ・ラ・レボルシオン(革命広場)まで近いよ、と彼らはずんずん歩く。暑い。暑い、と思う余裕を与えず彼らのハイテンショントークに引き込まれる。彼らは妻も子もあるらしいのに女の子とすれ違ったり、発見するたびに「チカ、チカ」うるさい。チカとは女性の意味だ。息も絶え絶えで革命広場に着く。シェをバックに3人で記念撮影。携帯三脚にセルフタイマー。二人はとても珍しがった。お礼にピサをおごる。ピサ3枚とフレッコ(冷たい飲み物)3つで計2ドル弱。俺はさっき食べたばっかりだから持っていたビニール袋に詰めてもらう。CUBAではこのビニール袋が随所で役立つ。日本から持ってきて早速役立った。ピサ屋のお姉さんに色っぽくウインクされドギマギしてしまった。ピサ屋といってもただの屋台なので座る所はない。歩きながら食べるか、道端に腰を下ろして食べるのだよ。二人は立ったまま食べ、フレッコを飲み干すと歩き出す。俺が観光客が買えるマーケットはあるか、と聞くとすぐ近くにある、と言う。CUBAの人のすぐ近く、と俺のすぐ近く、の感覚はかけ離れている、と、ついさっき体感したばかりだが今度は本当にすぐ近くだった。日本で言えばダイエーかなぁ、小売店が集合している3階建ての建物だ。サルバドール通りにある。俺は明日から土曜日曜なので食料を買い込んでおきたかった。情報によると日曜日は商店が閉まる、ということだったから。今日中に場所を知っておきたい。パン屋に行くと巨大なコッペパン?フランスパン?が75セントと出ている。やっぱ安いや、と一本購入。パブロとウイリアムがサポートしてくれる。ふーん、普通に買えるじゃん。情報によると観光客はかなり買い物に制限を受ける、と聞いていたから。疲れた。近くの公園のベンチで休もう。俺はリュックからクラブを出しジャグリングを披露した。暮れに痛めた腕が痛いので早々にやめた。雑談をしているとそのうちお金の話になり、そら来た、と思ってると、子供のために2ドルくれ、と言う。もちろん、街をガイドしてくれた訳だし喜んであげた。するとウイリアムが明日シェ・ゲバラの素晴らしいコインをくれる、と言う。また、このハイテンションと付き合うのかと思うと頭が痛い。でも、もうお金をあげるのはやめよう。彼らとはアミーゴ(友人)でいたい。彼らと別れ、マレコンという海沿いの道をPOVの方向に向かって歩く。排気ガスが最悪。

HOTEL NACIONAL DE CUBAのあたりに来たら自転車タクシーに声を掛けられた。断ったがしつこいので、と言うより面白そうなので2ドル、ということで乗った。のろい。運転手とは別に俺の隣には何故か老人が乗っている。そいつが二人に飲み物をおごれ、と言う。またか、と思ったがさっきの経験上、たいした金額にはなるまい。着いていく事にした。するとオイオイ何だか高級そうなバーじゃねぇか。オイオイいくらだよ、え?3人で9ドル?ふざけんな、ボケ!でも、あとの祭り。ムカツク。「ジャ、ノ!(もういい)」と俺は歩き出した。二人は乗っていけと言うが、歩いた方がきっと速いに違いない。ばかばかしい。でもいい勉強になった。自転車タクシーは気をつけよう。と、俺の横を別の自転車タクシーが観光客を乗せて汗びっしょりで一生懸命走っていく。ニコニコして彼は必死だ。成る程、俺は最悪な奴に引っかかったのか。やっぱ色々な人間がいるのだ。1を見て100を判断してはいけないな、反省。でも、ムカツク。明日からは3ドルだけ持って街へ出よう。3ドルあれば充分腹一杯になるから。ムカツク。さんざん道に迷ったあげくPOVに着く。途中アエロカリベの位置とフリーマーケットの位置がわかった。

さて、POVに着いたのは着いたが、更なる困難が待ち受けていようとは誰も思わなかった。カギがあかねぇ。10分くらい奮闘したがダメ。6:30になりカーリーおばさん帰宅。いきなり笑われたが、おばさんにも開けることはできない。さぁ、困った。イグナシオに援軍を頼むがダメ。ビルの管理人と思しきおじさんが来てくれて90分後、開いたらしい。らしい、と言うのは、俺は7階でイグナシオの息子二人にジャグリングを披露してヤンヤの喝采を受けていたから。管理人さんはカギをはずして改造してくれ、とても開け易くしてくれた。あぁ、毎日こんな調子で困難が待ち受けているのかなぁ、と、二日目にして早くもグロッキー。部屋に入り昼間のピサを喰う。マズイ。爆睡。

 

1月13日(土)

マークスとソニアとの朝食のミーティングを終え、昨日行ったスペルメルカド(スーパーマーケット)を目指す。日曜は全ての商店が閉まるらしい。土曜はきっと午前中しかやってないに違いない。急げ。途中、ウイリアムとパブロに会う。引き止められるが、急いでいる、と振り払う。11:30道に迷った。立っている男性に道を聞く。教えてやる、着いて来い。またか、と思うが食料の方が大事なので従う。彼にも最後に2ドルくれと言われたが1ドルにまけさせた。12:00少し前メルカドに到着。営業案内、土曜3:00まで・・・。

リュックを背負ったままスポーツ用品店に入った。怒られた。荷物を預けろ、と言う。見渡すと誰一人手荷物を持ってない。成る程、買い物をするときは手ぶらで来なければならないのか。スケボー20ドル。安い。オールドタイプだ。ウィールを回してみる。回らない。粗悪品だ。食料品店に行ってコンビーフとソーセージの缶詰を買う、その店を出てお菓子屋に入る。入るとき持っていた缶詰の袋の口をテープで縛られる。成る程、厳重だ。お菓子を2袋買う。買い物は昨日のデカパンと缶詰で充分なので終了。ついでに観光するか。この通りを真っ直ぐ行くとラ・アバナ・ビエハ(CUBAでNo.1の観光地。街自体が世界遺産に指定されている)に着くようだから。

歩いているとおばちゃんに声を掛けられた。赤ちゃんを背負い、小さな女の子を連れている。女の子はトレーに入ったパスタを食べながら歩いてる。おばちゃんは俺が首からぶら下げているボールペンを引っ張り、くれ、と言う。断る。おばちゃんはリュックやTシャツを引っ張り出した。女の子も一緒になって引っ張る。全て断った。そのとき。女の子が俺に食べていたトレーを投げつけた。おばちゃん達は行ってしまったが。立ち尽くす俺。ショック。哀しい。カピトリオ(旧国会議事堂)の壮大さもテアトロ・ガルシア・ロルカの壮観さも眼には映っているが・・・。

モロ要塞の見えるプンタ要塞で子供達30人くらいに「ヤーパン、ヤーパン」と取り囲まれた。仕方がない。リュックからクラブを出し、ショーの開始(ショーって程上手くないが)だ。拍手喝采。手を上げて応え、アンコールを振り切り、歩く。少し気分が晴れた。

排気ガスの強烈なマレコンという海沿いの道を少し歩くと一人の精悍な顔付きの青年に声を掛けられた。ブラジミール、27歳。奴との出会いが思いがけない出会いを生んでいくことはまだ知らない。サルサダンスの先生だと言う。彼の家へ案内される。地下の真っ暗の水浸しの廊下を手を引かれ進む。彼の部屋に入る。大きなベッドと洋服ダンス、椅子が一つ。POVとはえらく違う粗末な住居だ。おばあちゃんがヨチヨチ入ってきてほっぺにキスをされる。CUBAの挨拶だろう。ブラジミールから彼がフランスに行ったときの写真を見せてもらう。彼にはMAKOという東京の教え子がいるらしい。俺が「ノビア(彼女)?」と聞くと照れたように笑った。2時からルンバのフィエスタがあるというので連れて行ってもらった。昼飯がまだだったので腹は減っていたが。会場は2時を過ぎていたが始まる様子はない。暇つぶしに子供達にジャグリングを披露する。彼らの反応は。何とも言えない表情をしていた。無理矢理拍手を強要してやった。フィエスタがやっと始まる。ブラジミールがしきりに話し掛ける。遠まわしにタバコが吸いたい、酒飲みたい、と言ってるようだ。缶ビールをおごった。俺はコーラだ。明日の1時からサルサのフィエスタがある、というので、じゃあ12時半頃また来るよ、と約束をし、彼の家の場所を確認して帰る。

また少し歩くと男の子がひとり、背中のものは何だ?と聞く。非常に腹が減っていたが、一期一会だと思い、ジャグリングを披露。彼はすごく喜んでくれた。持っていた日本のコマを回してみせると、教えてくれと言う。臨時コマ回し講座が、海の見える道マレコン沿いの住居前で始まった。空気は相変わらず排気ガスで最悪だが。そのうち、もう二人の男の子も加わる。コマはエスパニョルでトロンポ、と教えてもらった。最年長と思われる子が回せるようになった。すごい、覚えが早い。日本からは2つしか持ってきてなかったが、辞書で調べて、3人で仲良く使え、と言ってあげる。喧嘩にならなければいいが。

フリーマーケットでサンドウィッチを買う。$22と書いてある。25センターボコインを出してみる。足りないらしい。10センターボコインをどんどん足していくがまだまだ足りないようだ。めんどくさいので更に1ドル札を出した。するとコインは戻ってきてやっとサンドウィッチにありつけた。通貨の単位、と言うか、通貨がよく解らない。ツーリスタだと高いのか?でも、具はベーコンたっぷり野菜たっぷりのデッカいサンドウィッチが1ドルで食べられるんだから言うことなし。しかも激美味!大満足。一旦宿に戻る。イグナシオがいたので近くにスペルメルカドはないか、と聞く。サルバドール通りのメルカドは遠いので。すると灯台下暗し。近所のオテル・メリア・コイバの向かいにガレリア・デ・パセオというメルカドがあるらしい。明日は日曜で休みなのだろう、と思い、ブラジミールと食べようと思う缶詰と水を買う。レジのお姉さんはとても無愛想だ。もちろん今度は荷物は宿へ置いて手ぶらで行った。

疲れたので寝よう。まだ6時。宿の隣の店がうるさい。明日は7階へ移動だ。つまりイグナシオ一家の居候となる。会話がおっくうかも。CUBA3日目にして解ったことがある。CUBAは盗み、恐喝、傷害一切ない。CUBAはネゴシエートの国だ。道を教えたからいくらくれ、親切に教えてやったから何かおごれ。これで腹も立たなくなるだろう。無理矢理自分を納得させているような気がしないでもないが。

1月14日(日)

マークスとソニアが今日旅立つ。最後に一緒に写真を撮り、別れる。ブラジミールのところへ缶詰と水を持って向かう。マレコンを歩いていると、イズラエルのベニーという35歳の弁護士と一緒になる。彼は自分の名前を何処で覚えたか「紅」と俺の日記帳に書いてくれた。英語とエスパニョル混ぜこぜで談笑しながら歩く。ブラジミールの家の前で別れる。12時、約束の時間まで30分防波堤で待つ。4日目にして足が相当疲れている。排気ガスと照りつける太陽と観光と精神的ダメージとが混ざっているようだ。

さぁ、フィエスタ。5バンド競演の大盛り上がり。サルサではなくルンバだ。体が自然に動いてしまう。ごったがえす人、人、人。夢中でシャッターを切るフォトグラファー達。白人も黒人も俺も人種なんか関係ない。ただ踊るんだ、踊れ、踊れ、踊れ!感動で涙が出そうになるのを必死でこらえる。俺は今、CUBAでルンバを踊っている!2番目の女性だけのグループと次のグループのトランペットがかっこよかった。4番目の演奏の最中に背広姿にパナマ帽の老人と白いワンピースに赤いスカーフのおばちゃんが突然踊り出た。コ、コ、コ、コンパイ・セグンドとオマーラおばさん!俺は持っていたデジタルカメラでシャッターを切る。コンパイ・セグンドに会えた!彼らは5分ほどで消えた。フィエスタが終わり虚脱状態。何か冷たいものでも飲もう。ブラジミールにCRISTALビールをおごり、俺はコーラ。明日もフィエスタがあるという。CUBAでは毎日どこかしらでフィエスタがあるらしい。明日の約束をして別れる。歩き出して気付く。カメラがない。カーゴパンツの左ひざのポケットに入れておいたのだがボタンがはずされている。うかつだった。昨日CUBAは安全だと思い込んでしまった。安全と言うのは自分が警戒をしていた上での安全であって、無防備ならヤられる。思い知った。でも、写真を撮らなきゃ、という責任感から逃れられるし、今後カメラを気にする必要もなくなった。返ってよかったのかな。日本にいたときの俺ならカメラを盗まれた、なんて一大事は一生尾を引きそうだが、どーでもいーことだね、CUBAに来てからは。俺が変わる、変える。被害金額1万円ちょい。寝よう。

1月15日(月)

昨日のルンバは楽しかった。コンパイ・セグンドも見た。朝から銀行に行き4週間分の宿代621ドルを下ろした。日本のATMのように全部自分でやるのかと思って不安だったが、HOTEL HABANA RIVIERAの中の銀行は個室で屈強なガードマンとおばちゃんがひとりずつ。VISAカードとパスポートを差し出し、「621ドラール ポルファボール」と言うと、すぐ下ろしてくれた。簡単、楽チン。オテル(ホテル)の従業員は皆親切で、日本語でサヨナラと言ってくれた。何だか嫌なことが全て吹き飛んだ。今日は2時過ぎまで休んでからブラジミールのところへ行こう。奴の家まで5キロ弱ある。ゆっくり歩くと1時間、早足だと30分くらいかかる。天気はあまり芳しくない。今まで毎日もう勘弁して、っていうくらい晴天続きだったのに。雲ったり雨が降ったり。マレコンを歩く。

途中、青年に「ヤーパン」と声を掛けられたので手を振って歩く。だいぶ、あしらい方が上手くなってきたか?今までは俺に声を掛けて来た奴ら全員を片っ端から相手していたが。しばらく歩いていると後ろから「ワッチュアネイム?」さっきの青年だ。彼のエスパニョルは簡単な質問ばかりなので話が弾む。途中ピンク色したビルの前を通りかかると、安いレストランがあのビルの奥にある、と言う。2ドルで魚やサラダが食べられるらしい。「グラシアス・・・」。どうもただ単に教えてくれたのではないらしい。彼は俺に「ティエネ アンブレ(お腹は減っていますか)?」と聞いた。食べたばかりだったので「ノ テンゴ アンブレ」と答える。見ると彼の衣服はツギ当てだらけだ。彼はもう一度俺にそのレストランの素晴らしさを訴えた。そしてもう一度同じ質問をした。「ティエネ アンブレ?」俺はもう一度「ノ テンゴ アンブレ」。すると彼は俺の眼を真正面から見据えて「テンゴ アンブレ(僕は腹がすいているんだ)!」と言い放った。俺は頭の中身がグラグラした感じがした。彼に2ドルを渡す。「ムチャス グラシアス!(どうもありがとう)」彼は飛ぶように去っていく。俺の眼からは自然と涙がこぼれてくる。みっともないので海を向いて泣いた、泣いた。憧れていたCUBA。現実のCUBA。CUBAの人にお金をあげるのはCUBAの人を馬鹿にしてるみたいで嫌だった。でもこれで完全に吹っ切れた。いくら不景気とは言っても日本は豊かだ。これからは相手の話を良く聴き、吟味し、あげられるものはあげようと思う。

ブラジミールとアメリカンタクシーという車に乗った。10ペソで市内何処へでも乗せてってくれるらしい。でも相乗り。運転手を含めて7人乗った。目指すはヌエボ・ベダードのCASA DE LA MUSICA。日本で言えばダンスホールか。16:00から入れるらしい。少し待ち、入る。二人で3ドル。安い。日本での情報だと10ドルだということだったが。地元の人と入ると安いのか。中にはステージがあり生バンドの演奏がある。ミラーボールが回っているが単調で変化がない。午後4時過ぎ、外ではまだ太陽が照っているにもかかわらず客で一杯だ。みな観光客かな。よくわからない。ひとしきり踊ったあとブラジミールに聞くと21時前に入ると安いのだそうだ。9時からは10ドルになるらしい。成る程。再び踊っていると、すっげぇかわいい黒人のクバーナに誘われた。ブラジミールを見ると「行け」と目で合図をしている。ステージのまん前に連れて行かれサルサを踊る。ムズカシイ。おまけに彼女がかわいいのでドギマギしながらだから尚更うまく踊れない。更におまけに胸元があやしい。そんな彼女の腰に手を当てて踊るのは至難の業だ。曲が終わり、彼女はブラジミールも呼んで来い、と言うので戻ると、ブラジミールはもう行くな、と言う。どうやら彼は俺たちを観察していて、彼女はツーリスタの金を狙う悪人だと見破ったのだ。彼女に未練を残しつつカサ・デ・ラ・ムシカを出、アメリカンタクシーで飯を喰いに行く。ピサとビールとフゴ・デ・ナランハで「サルー(乾杯)!」。宿までアメリカンタクシーを拾ってくれて21:00帰宅。疲れた。寝る。水曜日にまた会おう。

1月16日(火)

疲れがどっと出て一日中外へ出ず一日中寝た。

1月17日(水)

午前中銀行で10ドル紙幣5枚を1ドル紙幣50枚に替えてもらおうとHOTEL RIVIERAに。でも在庫がなかったので5ドル10枚になった。ま、いいや。CUBAは1ドル紙幣がないと生活しにくいのだ。宿に戻り体勢を整えて買い物に出る。ついでに日本大使館を見てこよう。HOTEL NACIONAL DE CUBAの近くにあるはずだけど・・・。これが大使館かなぁ。日の丸も何も出てないぞ。うーむ、謎だ。誰もいないし。サルバドール通りのメルカドで食料と14ドル弱で白いハンドバッグを買う。実は今週土曜日にブラジミールのお姉さんのクンプレアニョス・フィエスタ(お誕生日パーティー)があるからと、おととい招待されていたのだ。ま、誕生日のプレゼントとしちゃこんなものか?CUBAでは常識ハズレかなぁ、などと思いつつ。暑い。いや、暑さよりも排気ガスが最悪。一度宿に戻ろう。途中、子供に「チーノ、チーノ」と言われたので日本語で「うるせー、クソガキ!ボケェ!」と叫んでやった。もちろん笑顔で。

宿で1時間ほど休んで出かける。マレコンを歩く。途中、訳のわからん青年がしきりに話し掛けてくる。俺は腹が減っていたのでアンブルゲサ(ハンバーガー)を買うついでにそいつにもおごる。それでも着いて来る。ついにブラジミールの家に着いた。おいおい、ブラジミールの部屋にまで入って来やがった。なんだろな、こいつ。当のブラジミールはこういうことには慣れているらしく時々こういう奴が入ってくるんだ、と本人の前で話す。1時間も訳のわからない奴と俺とブラジミールの訳のわからない会話が続く。奴が立った。帰るのかな、と思ったら、家が遠いのでタクシーで帰りたいと言う。どうぞ、と言うと金がない、と言う。結局俺が訳のわからない奴に訳のわからない10ペソを払ってお帰り願った。ブラジミールは、俺んちはいつでも開いてるから時々知らない奴が入ってくるんだ、と当たり前のように言う。いったいCUBAって・・・。

以前に話してもらったMAKOという彼のサルサの教え子の住所を日本語で書いてくれ、と言うので翻訳した。彼女は八王子に住んでるらしい。メールアドレスもあったのでメモし、宿からメールが送れるのでブラジミールの伝言を預かることになった。送ってはみるけど返事がなかったらごめんな、と前置きして、伝言を書いてもらう。さっぱり読めない。帰ったらイグナシオに入力してもらおう。

さぁ、カサ・デ・ラ・ムシカへ行くか。実は俺はあまり乗り気ではなかった。何故なら、そこは俺の大嫌いなタバコの煙が立ち込めるからだ。おまけにブラジミールはおごれおごれ、と人の懐を当てにする。よし、今度の土曜日の誕生日パーティーを最後にするか、とその夜は帰りにブラジミールとレストランに入り25ドル分喰った。美味かった。でも俺は屋台のピサの方が好きだなぁ、マズイけど。夜9時にアメリカンタクシーで帰り、イグナシオがいたのでブラジミールの伝言を打ち込んでもらい、俺がローマ字で事情を説明した文とともにMAKOに送ってもらった。寝よう。

1月18日(木)

午前中、防波堤に座って海を眺めていると「ヤーパン?ルックルック」見ると「コカ、マリワナ」と小さな布袋を見せられた。俺はすぐさま「ノ、ノ、ノ」と断った。行ってしまった。気をつけよう。防波堤でヘミングウェイの『老人と海』さながらの銀髪に白ひげの老人が釣りをしている。かっこいい。釣果はないようだ。防波堤は風が気持ちいい。女の子と男の子を連れたお母さんが俺に話し掛けてくる。さっぱりわからん。「エスパニョル ウン ポキティート(スペイン語はほんの少しだけしか解りません)」と言うと、「シィ(そうですか)」。俺が女の子に「クバーナ?」と聞くと「ノ」。「デドンデ エス ウステッ?(どちらから?)」と聞くと「セグワナ」。お母さんに「トゥーリスタ?」と聞くと「ノ、ミ ママ エン クーバ(私の母がCUBAにいるのよ)」と。たわいもない会話が心を和ませてくれる。防波堤は排気ガスが少ない。風が内陸の方に向かって吹いているからだ。

ボーっとしていると黒人青年がやってきて防波堤の下におり、服を脱ぎ海に飛び込んだ。ここらでは泳げないと聞いていたので少し驚いたが彼はゆうゆうと泳いでいる。見ていると声を掛けてきた。「何か冷たいものが欲しい」、しめた、おごってやる代わりに一緒に泳げると思ったのだ。海パンは持ってきていたものの泳ぐ機会はないだろうと諦めていたのだ。一大観光地のビーチ・バラデロには行く気はしなかったし。宿に帰り海パンをはき、普段持ち歩いているパスポート、カード、カギを置き、グランママにカギを置いていくから、と言い残して眼鏡を置き、度付きのゴーグルと3ドルだけ持ってメルカドへ。飲み物を買って海へ戻る。彼は体育座りで待っていた。手を貸してもらい下におりる。彼の名はトニー。25歳。まずは「サルー(乾杯)」。そして海へ。深い!足なんか到底届きそうにない。成る程、泳げない、と言われる訳だ。でも気持ちいい。気温はさほど高くないが、風がなく波は穏やかだ。岸に上がったり泳いだりしている内に全身が切り傷だらけになっているのに気付く。岸にびっしり付着したフジツボの死骸がナイフのように鋭く、上がるとき切ってしまうのだ、と教えられた。帰ったらオロナインでも塗っておこう。彼は俺のスポルディングのゴーグルが気に入ったらしい。度が付いてるので海の中でも良く見えると言う。彼がエスポルデイング、と発音するそのゴーグルを付けるとシドニーオリンピックで話題になったケニアの水泳選手そっくりだ。このゴーグルは彼にあげようかな。2時間ほど泳ぎ「アスタ マニャーナ(また明日)」と別れる。ゴーグルはトニーに貸しといた。もちろん帰り際に飲み物をおごらされた。明日は金は持たずに行こう。

午後から宿の隣のHOTELの廃墟でジャグリングの練習。すると少年がひとり近づいてきてじっと見ている。何も言わずに見ているだけなのでこちらから声をかけた。アルマーノ少年だ。ボールのやりかたを教える。まだ上手く出来ないがすぐに慣れるだろう。遊んでいるとブス(バス)の運ちゃんがやって来てボールジャグリングを披露してくれた。俺より上手いじゃん。手品も見せてくれた。ペットボトルのキャップを3つ使い、そのうちの一つにスポンジの小さなクズを入れる。そしてそれが何処に入っているか当てさせるのだ。全然解らない。不思議だ。こちらに入れたはずなのに、ない。向こうに入っている。俺達は「ポルケ?ポルケ?(なぜ、なぜ?)」を連発する。最後に種明かしをされるが、そんなこと相当器用じゃないとできないぞ。練習に疲れて座る。アルマーノが俺にアルファベットや数を教えてくれる。棒倒しをやる。俺の3勝1敗。また明日。

夜、体が熱い。うっかり日焼け止めを塗らなかった。持ってたのにぃ。蚊に全身12箇所食われた。右目のまぶたも食われ、試合に負けたボクサーのようになってしまった。

1月19日(金)

今日は何かのパレードをやっている。みな小旗をふっている。12:00過ぎまで防波堤でトニーを待つが来ない。やられたか。まあ、いい。CUBAに来てから心が広くなった。今日からパスポート、カードは宿に置いてくるようにする。カギと現金だけなので身軽だ。宿は常に誰かしら居るので安全だということがわかったから。

今日は黄土色のズボンやミニスカートの中学生?が大挙して制服のまま海に飛び込んでいる。彼らを見ていると、あの老人がこっちに来い、と言う。彼が釣った魚を見せてくれた。何だろう、カレイかな?老人は耳は聞こえるが声が出せないらしい。でも何となく言いたいことは解る。防波堤の上に座りボーっと海を眺めていると涙がこぼれそうになる。慌てて抑える。かっこ悪ィ。老人と並んで座っていると会話がないのにあたたかい。俺は彼をCAPITAN(船長)と呼ぶことに決めた。ゆっくりと時は流れる。でも小便がしたくてたまらねェ。彼も学生さん達の水遊びで釣りにならないから帰ると言う。「アスタ マニャ〜ナ」。昼飯のピサを食ったら練習に行こう。最近ピサが美味く感じられる。というより、食べないと気が済まない。習慣性ピサだ。アルマーノは来るかな。

廃墟ホテルで練習していたら近所のガキが7人くらい集まってきて質問攻めに遭う。自分の名前を日本語で書け、ジャグリングの道具を一つ一つこれはいくらするんだ、いつまでいるんだ、あぁウザい!しまいにゃ、これくれ、あれくれ。がぁぁぁ、もう練習はやめようかな、海で一日過ごすことにしよう。とにかくうるさいから全部帰国するときにやる、ということで解放してもらった。アルマーノも徒党を組むとただの悪ガキだった。

夜、イグナシオから、俺宛に日本から届いたメールを見せてもらった。友人から3通、バリのJKさんから1通、MAKOから1通。友人とJKさんにローマ字で返事を書いた。MAKOからのメールはもうブラジミールには会いたくない、という内容だった。成る程、彼女もさんざんおごらされたらしい。俺も奴には会いたくない、と返事を書いた。MAKOさんは2月1日にHABANAに来るらしい。そういや久しく日本人と会ってないし生会話していない気がする。MAKOさん、もっと早く来てくれないかなぁ。

1月20日(土)

朝から海へ行く。カピタンは既に釣りを始めている。すると、悪ガキ3人がやってきた。アチャチャチャ、日本の歌を10曲以上歌わされて、しまいにゃ気違い扱いされた。先が思いやられる。ん、そうだ、俺も釣り竿を買って明日からカピタンと釣りをしよう。何だか急にCUBAでのライフスタイルを発見したようでうれしくなる。

午後から大嵐、大雨になった。その中を歩いてブラジミールの家へ向かう。今日はブラジミールのお姉さんの誕生日パーティーに招待されている。プレゼントに、と買ってあった白いハンドバッグをこの嵐の中持っていくわけにはいかないので、急遽、日本から持ってきていたコンパクトミラーをポケットに入れた。何とかたどりつき、お姉さんに「フェリース ス クンプレアニョス!(お誕生日おめでとう)」と鏡を渡す。とても喜んでくれた。よかった。ブラジミールには、俺が肝臓に持病を持っていることは既に何回か話している。彼には嘘をつくことになるが、まだMAKOから返事は来ないし、俺の肝臓は今とても状態が良くないから、と説明し「アスタ ラ ビスタ(また今度)」と別れる。嘘をつくのは嫌だが仕方がない。

サルバドール通りのメルカドに釣り竿を買いに行こうと思ったが、一旦止んだ雨がまた降りだしたので断念する。突然腹が減りピサを食った後、別の屋台でサンドウィッチを食う。宿の近くまで来たとき無性に甘いものが食べたくなりガレリア・デ・パセオに飛び込み4ドラールで直径30センチの巨大なショコラテ(チョコレート)デコレーションケーキを買い、慎重に持ち帰る。4ドルでこんなデカいケーキが!安い。

夜、カピタンの肖像画をノートにボールペンで描いてみた。なかなか良く描けました。

明日は晴れるかな。

1月21日(日)

朝から天気が悪い。雨は降ってないが風が強烈に強い。海を見に行く。防波堤を乗り越えて波が5メートルもの高さで道路(マレコン)を襲う。すさまじい光景だ。当然カピタンはいない。手前の広場の高いところにのぼり、30分ほど見物する。車もおちおち走ってられない。いつもは傍若無人なCUBAの車も今日はゆっくりだ。走る車に波がかぶさる様子を見ているうちに目の前が白くかすんできた。どうしたんだろう、めまいか、病気か。海から吹き付ける強烈な風が海の塩をメガネにべったり貼り付かせていた。Tシャツでぬぐおうとするがベトベトで取れない。これは洗剤で洗わなければだめだ。

今日は一日こんな天気。おまけに寒い。一日寝てることにしよう。と、思ったら、どうも腹の調子が良くない。一日に6回もウンコが出る。スワッ、これが噂に聞く海外旅行名物の「腹下し」か!持参のセイロガンを飲む。待て。よく思い出せ。昨日はピサ2枚、巨大なサンドウィッチ、ケーキに缶詰、パンをたらふく喰ったような喰ってないような・・・。喰ったよ。ただの喰いすぎ!

1月22日(月)

今日も寒いし曇ってる。長袖トレーナーでも持ってきておけばよかった。ウインドブレーカーを着て海へ行く。相変わらず強烈な風だ。波が防波堤を越えている。今日は釣り竿を買いに行こう。サルバドール通りのメルカドのラ・ティエンダ・デ・デポルテ(スポーツ用品店)に行ったが売ってなかった。近所のガレリア・デ・パセオにも置いてない。そこのおもちゃ屋兼工具屋に入りガードマンに聞いてみる。「ドンデ プエド コンプラール」まで言って「釣り竿」がエスパニョルで何と言うか解らなかったので、竿を投げリールを巻き上げるゼスチャーをしたら、女性のガードマン一人と男性ガードマンニ人に大笑いされてしまった。何もそこまで笑わなくてもいいじゃないか、と思うくらいに腹を抱えて笑っている。俺も釣られて笑ってしまった。そんなにおかしいかなぁ、俺。彼らにHOTEL Melia Cohibaの店に売ってると、聞いて直行。すぐ近くだ。またもや灯台下暗し、あるある、でもデカいのが一種類だけだ。55ドラール10センターボ。ま、いいか。一旦宿に戻りお金を握りしめ、買った。白い二本つなぎの竿にリール付きの高級品だ。釣りなんて小学6年生以来だな。しかもリールは初めてだ。ついでに何故かそこで売っていた、ピン〜ピンジャックのケーブルを買った。2ドル弱。これで持参のMDプレーヤーから宿のステレオにつなぐことができる。日本の曲をイグナシオたちに聴いてもらおう。風はまだまだやみそうにない。宿に戻り説明書を見ながら竿を組み立ててみる。上機嫌。竿を置いて街へ出る。今日はいつもの方向と逆へ歩いてみよう。いつもは海に向かって右に行くのだが左へ行ってみた。やはり海へぶつかった。たくさん釣り人がいて大嵐にもかかわらず結構釣れている。彼らのキャスティングをよく観察してリールの使い方を覚えよう。地図で調べるとここは河口だ。成る程、よく釣れる訳だ。宿に帰り『釣りキチ三平』で覚えていたルアーの仕掛けを作った。満足。

夜、シャワーの水が止まらない。イグナシオもお手上げだ。今夜は水の流れる音が子守唄。

1月23日(火)

今日は晴れてはいる。が、風は相変わらず強烈だ。釣り竿は買っただけで使えないのか?午前中、昨日の釣り場を見に行く。嵐の中、釣ってる釣ってる。50センチクラスのタイ?を釣った人がいる。デカい!カピタンも姿を見せている。挨拶をするが浮かぬ顔だ。彼はこの場所が嫌いらしい。すぐにいなくなってしまった。

午後からはすることがないのでLA HABANA VIEJAに観光に行く。嫌な思い出があるが、今日はリベンジだ。歩いていく。不思議と声をかけられない。以前は「ヤーパン、チノ」とあちこちから呼ばれたのに。慣れたせいか、現地人化してるのか。たかりに引っかかることなく「中國城」なる一角に至る。訳の解らない漢字と感じが通り中にあふれている。その通りの店は中華なのかな、と思うと大半はピサやCAFEを売っている。雰囲気だけはちょいとインチキ臭いが中華風だ。さらに「華人街」という門を抜け真っ直ぐ歩いていると「コンニチワ」と声を掛けられた。大きなキャベツを片手にニコニコしてる青年。日本に詳しい彼とエスパニョルで話をしながら少し行くと物売りの老人が自転車の傍らに立っている。青年はアミーゴだ、と言い、彼からCUBA名物のおいしいお菓子を買ってくれ、と言う。見せてもらうと、名古屋のウイロウだ。匂いは甘い。ますますウイロウとしか表現できない。厚さ2センチ長さ20センチ幅7センチくらいで黒っぽい。やはりウイロウだ。3つ1ドルで買う。ずっしり重い。青年と老人に礼を言われ、別れる。包んであるビニールをはがし一口。甘い!過剰に甘い。ほのかにみかんの香りがするようだ。3口まで喰ったが、あまりに甘いのでもういい。往来の真中で捨てるわけにも行かないしポケットには残りの二つが入ってるし、無理して喰う。もう今日は夕飯いらないや。

カテドラルという教会の聖堂に入った。荘厳、という表現がぴったりだ。空気がひんやりしている。神聖な気持ちになる。近くのフリーマーケットを見物する。シェ・ゲバラ物が多く売られている。トゥーリスタ相手の土産物屋が集まっているらしい。日本人カップルと思われる二人を発見したが声はかけないでおいた。港を見物して帰る。帰りにピーニャというアイスクリームを3ペソで喰った。マズイ。最近は最初マズイと思ったピサがやたら美味く感じられているのでこれもそのうち美味く感じられるかな、とも思ったが、これは完璧にマズイ!失敗した。口直しにバニラ喰う。リニア通りのいつものピサ屋でピサの2枚重ねをいつものように喰う。実は、俺が毎日必ず2枚頼むものだから、店のおじさんが開発した俺専用の特注ピサなのだ。と言っても一枚目のピサの上に2枚目をひっくり返して乗せてくれるだけだけど。やはり喰いすぎだ。

日暮れまで近所のガキと河口で釣り見物。6時過ぎ帰る。帰るとグランママから8時頃日本のMAKOから俺に電話がある、と聞かされる。8時前、電話が来た。彼女は2月1日にHABANAに来て2~3日でアパートを見つけHABANA大学の学生になってエスパニョルを勉強したいのだという。その宿の手配を俺が任された。そばにいたイグナシオに話し、その場でOKをもらった。2月1日からMAKOは階下のカーリーおばさんの部屋に2〜3日泊まってからイグナシオとアパートを探すことになる。あぁ、久しぶりの日本語会話だった。シャワーは工事してもらって直っていた。

1月24日(水)

幾分風はおさまった。防波堤を乗り越える程の波はなくなったが、まだまだ釣りが出来そうな状態ではない。カピタンは今日もいない。ひとりで海を眺めていると竿を投げてみたくなり、宿に戻り釣り竿をつかむ。5〜6回投げてみてコツがわかってきた。さてこれから、というときに根がかりして糸を切る羽目になってしまった。あぁ、仕掛けがもったいない。

宿へ戻る途中、珍しく子猫がいたのでかまおうとしたら側にいた品のよさそうなオバサマに怒鳴り散らされてしまった。彼女はきっと飼い主で、日本人は猫を鍋で煮て喰う、とでも思っているに違いない。ベダードは犬がやたら多い。しかもみな薄汚れていてガリガリでひょろひょろ歩く姿がたまらなくかわいい。休むときは人間が日光浴で背中を焼くときのように後ろ足を投げ出して腹ばいで休んでいる。うぅ、抱きしめたい!でも汚ェ!ご想像のとおり犬の糞の恐怖は常につきまとう。既に一回踏んでいる。CUBAは日本と違って靴のまま部屋に入るので大変だ。宿へ戻り昼飯を喰う。今日は缶詰とパンが残ってるので処理する。

午後から河口へ行く。でも、誰もいない。どうして?天気がいくらかいいと釣れないのか?しばらくそこで海を眺める。あることに気付いた。昨日もおとといもプテラノドンみたいな巨大な鳥が空にたくさん飛んでいて奴らは垂直に空から海にダイブして魚を獲ってたっけ。何と言う鳥なんだろう。初めて見る鳥だった。今日は一匹も飛んでない。成る程、釣り人は奴らのいないところには魚がいない、と知っているのだ。成る程、成る程。

さっき昼飯を食ったばかりなのに小腹が減った。宿へ戻る途中おいしい弁当屋を見つけた。15ペソで肉、サラダ、イモ、赤飯みたいなご飯が厚紙製の弁当箱に詰まっている。箱の蓋にスプーンの形をしたミシン目が入っていてこれをくりぬいてスプーン代わりにして食べるのかな?が、その場で食べたのでトレーとプラスチックのフォークを貸してくれた。おやじさんがとてもいい感じに対応してくれるので気分がいい。弁当も美味い。ちょっと量は少ないが。また明日、と言ってトレーとフォークを返す。これからはこの店で弁当を喰おう。これで食事のパターンができそうだ。朝は宿で3ドル(払込済み)の朝食。昼夜はピサ2枚重ねと弁当。足りなきゃ買い置きのパン、缶詰、ケーキがある。何だかCUBAに来てからというもの本能のままに食べている気がする。

1月25日(木)

午前中海へ行く。久しぶりにカピタンがいる。宿へ引き返し20日に描いたカピタンの肖像画と釣り竿を持っていく。仕掛けの作り方、ラインの結び方、リールの使い方、竿の投げ方を教わる。子供達やツーリスタ、クバーノ(CUBAの男性)、クバーナ(CUBAの女性)がカピタンの元へ集まる。彼は人気者だ。肖像画を渡すと、これは俺か、という風に驚いてみせ、とても喜んでくれた。通りかかる人を片っ端から捕まえ、これは俺だ、彼が描いたんだ、と得意気に見せて回っている。よかった、よかった。俺は何度も根がかりを繰り返し、おもりや針をいくつもなくしてしまった。カピタンのを貸してもらっているので申し訳ない。おもりや針は何処で買えるのかと聞いたら、一緒に買いに行くことになった。一度カピタンの家へ行き、彼は着替える。彼の家族だろうか、なごやかな話し声が聞こえる。犬が擦り寄ってきて甘える。俺は猫派だが犬もかわいいねぇ、とCUBAに来てからは、つとに思う。午後1時過ぎ、いざ出発。近くかと思ったらバス(OMUNIBUS)を2回乗り継ぎ、何だ、おととい来たばかりのラ・アバナ・ビエハじゃないか。でもCUBAでバス(エスパニョルだとブス)に乗ることはないだろうと思っていたが乗ってしまった。うれしい。すし詰め状態、という言葉がぴったりである。1回一人40CUBAセンターボ、1ペソ=100CUBAセンターボだから無茶に安い。それにしてもこのブス、すごい。何がすごいって、あーた、乗客が降りようとして叫んでいるのにドアを閉め発車してしまうし、乗り切れないお客がバラバラと零れ落ちていく。それはそれはすさまじい、いや、面白い光景だ。乗るのもムズカシイが降りるのはもっとムズカシイ。何しろぎゅうぎゅう詰めで出口へ進めないのだ。前乗り後ろ降りだから、降りるべき停留所に着く前に後ろに移動せねばならない。アメリカンタクシーと同じで、地元の地理に精通していなければとても乗れない。

さてさて、港に着いた。どこに釣具屋があるのかと思ったらそんなものはないのだ。防波堤に腰掛けている釣り人たちが売人なのだ。おもり専門の人、針専門の人、ライン専門の人、オールマイティな人、それぞれだ。カピタンは一人一人丁寧にあたり、商品を吟味していく。声が出せないので商談に苦労してるようだが、皆カピタンのアミーゴらしく、次々に落札していく。1時間くらいでおもり50ケ、針3種類計50ケ、毛ばり7ケを4ドル弱で買い上げた。やっぱ安いや。金は全部俺が出したが、みなカピタンに預けた。実は来る前にカピタンにはアイスクリーム、クッキー、マニ(ピーナツ)、ブス代をおごってもらっている。CUBAに来ておごってもらったのは始めてである。釣り場の近くのカフェテリアのアイスクリームとカピタンしか知らない?秘密のクッキー屋のクッキーが特においしかった。東京じゃ、あんなの喰えないぜ。ブスでベダードへ戻り「アスタ ブエン ティエンポ(良い天気の日まで)」と別れた。

天気は相変わらずあまりよくない。腹が減った。弁当屋へ行く。4時半。やってない。10時半から4時までと書いてあった。がっかり。しょうがない、いつものピサ屋に行って特注2枚重ねピサを食べよう。その場で2枚重ねピサを喰っていると店の兄ちゃんが話し掛けてくる。言語の話題で盛り上がる。言語の話題というのはこれまで誰としても必ず盛り上がった。たいていイングレス(英語)の悪口だ。Vの発音をしていて下唇が腫れ上がった、とか、THの発音で舌を噛み7針縫った、とか本当か嘘か知らないが爆笑である。エスパニョルとハポネスは発音が似ているので楽だし楽しい、と言うと、俺の妻はフランシアなんだ、と言う。フランス語は強烈にムズカシイらしい。いまだに奥さんとの会話はイングレスでするらしい。何だよ、イングレスできるんじゃないか、と非難すると彼は笑った。

1月26日(金)

晴れてはいるが雲が多い。風も強い。朝食のときグランママに、1月〜2月は大西洋からの風が強いと聞かされた。ちょっとがっかり。でも、釣りは何とか出来そうだ。9時、いつもの釣り場にカピタンはいた。握手をし、仕掛けを作ってくれる。一人でも作れそうだが、黙って見ている。投げ方のおさらいをし、投げては巻き戻し投げては巻き戻す。全く釣れはしないが「投げる」という行為が面白い。時の経つのを忘れる。12時前、腹も減ってきたところで、カピタンがラ・アバナ・ビエハに行こうと言う。もちろん行きたい。でも少し待ってもらって弁当屋に夕飯の買出しに行く。おじさんに、昨日は4時半に来たら閉まってたよ、と言ったら笑っている。4時で終わりののんきなお弁当屋さんだ。今日はVIANDA(弁当)の他にPAN CON PERROというのも頼んでみる。PERROとは犬であるが犬の肉が挟んであるのだろうか。夕食が怖い。おじさんに聞くのも何だしなぁ。計23ペソを払い持参の袋に詰めてもらう。ここは土日もやってるというので大変よろしい。次にピサ屋に行って特注2枚重ねピサを喰う。肝臓の薬を飲まなければならないので腹は減ってなくても食事を摂らなければならない。いや、腹はやたら減っている。一旦宿へ戻り弁当を置く。今日はアイスクリーム売り切れ、残念。でも、あのおいしいクッキーはいただいた。美味い!一度カピタンの家へ。彼の着替えを外で待っていると昨日の犬が擦り寄ってきた。あごの下をなでてやると気持ちよさげだ。ちょっと臭いが。

オムニブスを一回降り、市場でバナナを買った。そして、「GUADERO」だったかな、何かの木の繊維を屈強な男性4人がかりでローラーを操り、すりツブした汁をコップに入れたものを飲ませてくれた。一杯0.5ペソ。2杯ずつ飲んだ。カピタン曰く元気が出るぞ、と。不衛生極まりないが、美味い!

ラ・アバナ・ビエハに着く。90分くらい投げたりうろうろしたりしたが、釣れない。そろそろ陽が傾きかけてきた頃にカピタンはアミーゴから魚の切り身をもらってきた。疑似餌はやめて活餌に切り替える。俺は周りの釣り人達がやっているようにリールのストッパーをはずしすぐ近くの海に仕掛けを沈めた。ストッパーを戻しそろそろと巻き上げる。するとコツコツと当りが感じられる。慌てて引き上げると釣れた!メバルのような形をした青味がかった20センチくらいの魚。ワッと子供や周りの人たちに取り囲まれる。気分いい!カピタンは何度も頷いてニコニコしている。カピタンはすぐさま切り身にして次の餌にしてくれる。俺としては持って帰りたかったが。結局、次は釣れず、ブスを待つ。

オムニブスはいいかげんである。一時間も来ない。待ちくたびれていると、たまたまカピタンのアミーゴの少年もブスに乗りに来た。少年はコインの収集が趣味らしい。持っていたコレクションを見せてもらう。日本の100円玉と50円玉もある。そうだ、宿に日本のコインが何種類かある。少年の住まいもベダードだ。ブスに乗り、カピタンは用事があると言って途中で降りた。俺は少年と同じ停留所で降り、明日釣り場に来れば日本のコインをあげる、と約束をして別れる。

宿に帰りイグナシオ一家に一匹釣れた、と報告すると皆喜んでくれた。うれしい。

さて。問題のパン・コン・ペルロだ。直訳すると「犬と一緒のパン」。う〜む、パンに挟んであるのはウインナーだな。これが犬の肉で出来ているのかなぁ。美味いじゃん、結構。本当に犬だとしたら生まれて初めて喰うなぁ、明日おじさんに聞いてみようかなぁ、う〜む、それにしても喰い過ぎだなぁ。

1月27日(土)

今日は風が弱い。波もやや静かだ。絶好の釣り日和。カピタンに仕掛けを作ってもらい、投げる。疑似餌釣りはムズカシイ。さっぱり反応がない。10時頃、通りかかった釣り人にカピタンが魚を分けてもらい、切り身にして餌にしてくれる。早速コツコツと当りがある。慌てて引き上げると25センチくらいのカレイ?が釣れた!自分の中で大騒ぎ!大喜び!カピタンが拍手をくれる。この調子で次も行くぞ!と思ったら根がかり。♪にっちもさっちもどうにもはずれない♪カピタンがベテランの技ですぐにはずしてくれる。不思議だ。俺は「ポルケ?ポルケ?」を連発する。このあと3回、自分ではどうしようもない、と思った根がかりをカピタンはいとも簡単にはずしてくれる。ポルケ?

また根がかりだ。お願いします、カピタン。すると今度は何だか様子が違うようだ。何か赤っぽいものが付いている。引き上げた、と思ったら下のコンクリートに引っかかった。ダイバーが近くにいたので、声の出せないカピタンの代わりに叫ぶ。「ミスター、セニョール ダイバー、ヘーイヘーイ!」彼は気付いてくれた。俺達は引っかかった先を指差し、ゼスチャーではずしてくれ、と頼む。ダイバーは近づいてきてはずそうとしてくれるが、なかなかはずれない。彼はナイフを取り出しガリガリやってる。いったい何が付いてるんだろう。はずれた。引き上げる。何とプルポ(たこ)である。20センチくらいのミニたこ。あわれ、すぐさまセボ(餌)となりました。

昨日のコイン少年が自転車でやってきた。朝、バッグの一番下から日本のコインを引っ張り出して持ってきている。500円玉1枚、100円玉2枚、10円玉1枚、1円玉1枚、俺が持っていた全てのコインをあげた。50円玉は彼が既に持っているので残るは5円玉だ。日本にはあと5円玉があり、50円と5円は真中に穴が開いている、と説明したら興味深げだった。

お昼になり腹も減ってきたので釣り場を抜け出し、いつもの弁当屋に。夕食の買出しだ。弁当と例のパン・コン・ペルロを頼む。ペルロとは犬のことか、と聞く。「ペルロ エス わんわん?」と犬のマネをしてみた。おじさんは笑って「ワンワン」と言った。えぇい、さっぱり解らん。謎だ。続いてピサ屋に行く。特注2枚重ねピサを頼み、ほおばる。昼飯を食べているときいつも思う。俺だけ腹いっぱい食べてていいのだろうか・・・。カピタンにもあげたいが、一応彼は金を持っているようだし、失礼に当るんじゃないか?あれこれ考える。

午後から場所を少し東へ移動する。が、当りはなかった。明日午後からラ・アバナ・ビエハに行くことを約束してカピタンと別れる。

1月28日(日)

少し風はあるが、まずまずの釣り日和。午前中、全く当りなし。カピタンがここ4日間の釣果を見せてくれた。カラマリ(イカ)2匹、ウマズラハギ2匹、アジみたいな奴4匹と、どれも40センチクラス以上のデカイ奴ばかりだ。さすがにスゲェ。・・でも一体いつ釣ってるのかな。俺がいつも行く9時前に釣ってるのだろうか。ま、いいや。

昼からラ・アバナ・ビエハに。あのオムニブスって奴はいつ乗っても疲れる。今日は乗り換えなしだったが、乗るとき階段のステップにギリギリ引っかかる感じで乗り込んだので、途中で落ちるかと思った。CUBAでの生活はヘヴィだ。照りつけるソル(太陽)、石原慎太郎都知事が来たら卒倒しそうな排気ガス、ゴミ、犬の糞、オムニブス。

ビエハでもやはり、さっぱりだ。今日はどの釣り人もさっぱりだ。こんな日もあるんだろう。釣りもヘヴィだ。ヘヴィなオムニブスで帰る。一時間ほどいつもの防波堤で海を眺める。ヘヴィでないのは海だけだなぁ。さて帰ろう。

宿の近くまで来たら近所のガキ7人に捕まった。ガキ共の相手が一番ヘヴィかもしれない。ひとりの子供が「ミラミラ(見て見て)」と言うので見ると、奴は俺がアルマーノに教えた3ボールジャグリングが出来るようになっている。びっくりして何日練習した?と聞くと2日、と答えやがった。ばかやろう、俺は1ヶ月かかったんだぞ。俺のリュックは剥ぎ取られ中身を調べられる。今日はたいした物は持ってなかったから助かった。珍しい物でも持っていようものなら、くれくれ、の大騒ぎになる。そして今日、最もヘヴィだったのが奴らの質問である。

右目の上に傷のある男の子が自分のアソコを指差し「ピンガー」、女の子のアソコを差し「ボヨ」と言う。嫌な予感。「コモ セ ディセ ハポネス?(日本語で何て言うの?)」来た!彼らは幼く見えるが実は中学生くらいの思春期であり、セックスにも最も興味がある時期なのだ。まさかCUBAに来て性教育?をする羽目になるとは夢にも思わなかったが、俺は高らかに叫んでやった。「ちんちん・おまんこ!」

言葉の響きが面白かったのか一同爆笑し、少年6人少女1人の「チンチン・オマンコ」合唱隊が出来上がった。奴らは「チンチン・オマンコ」を連呼し始めた。この日以来奴らの挨拶は「チンチン」「オマンコ」になった。国際問題に発展しなければいいが・・・。付き合ってられないので「チャウ、アスタ ラ ビスタ」。奴らの答えは「チンチン・オマンコ!」

1月29日(月)

朝食、グランママの体調がよくない。頭痛がすると言うので日本から持ってきたバファリンをあげた。強い薬なので用法を絵で描いて説明したら上手く描くね、と誉められた。グランママ早く良くなって!でないと俺の朝飯作る人がいなくなっちゃう。

午前中、釣り。10時半、カピタンが俺を唇を鳴らし俺を呼ぶ。振り返るとひとりのアジア人。俺は久しぶりのアジア人に驚き、エスパニョルで「デ ドンデ エス ウステ?(どちらから?)」と聞く。彼は「???」。日本の方でないことは一見してわかる。何語で話せばいいのだ?エスパニョルに慣れてしまっているので、とっさにイングレスが出て来ない。悩んでいると「日本の方ですね」「は、はい、そうです」何だ日本語だよ。聞くと彼はリン(林)さんといい、男友達と台湾から観光に来たらしい。彼は日本語が上手なのでコミュニケーションには困らない。面と向かって日本語会話をするのはCUBAに来て初めてだ。彼は俺に相談があるらしい。CUBAに来て2日目だが、今泊まっている宿を今日急に出なければならなくなったらしい。理由は解らないが、宿のオーナーにそう頼まれたらしいのである。それなら、と竿をカピタンに預けてPOVに彼と連れの陳さんを連れて向かう。イグナシオに相談してみよう。でも彼は今いるかな?

いつもは決して乗らないエレベーターに乗る。林さんは足が悪いのだ。ボタンを押す。ゴトゴトと音を立てエレベーターは降りてくる。ドアを自分で開け乗り込みドアをしっかり閉める。7のボタンを押すと中のドアがゴゴオと左から右へ閉まる。ゆっくりエレベーターは上がり始める。やっぱこいつには乗りたくねぇ。部屋に着くと奥さんのカレリアがいた。事情を話し、何とかならないかと頼む。カレリアはにこやかにOKしてくれ、電話で部屋を当り始める。2人分というのがネックになりなかなか見つからないが、やっと一軒OKが出たらしい。陳さんは台湾語しか話せない。林さんの日本語を俺が辞書を引きながらエスパニョルでカレリアに通訳する、という形態をとっていたが、ここで林さんがポロリと口にしたイングレスをカレリアがイングレスで答える。林さんは自国語・北京語・広東語・日本語・英語ができるらしい。初めて知ったのだがカレリアは元英語教師なのだ。なんだ、それじゃあ、とカレリアと林さんはイングレスで話し始めた。さっぱり解らん。やっぱ英語ができるとかっこいいなぁ。話がまとまったらしくカレリアと4人で宿へ行く。POVのすぐ近くだ。パンチョという人の民宿(カサ・パルティクラール)だ。パンチョさんはとても当りの柔らかい人で、好人物だ。林さんが気に入ったので契約成立。CUBAで不動産の仲介業をするとは思わなかったよ。

林さんから、魚が食べたいからがんばって釣ってよ、と頼まれる。俺は皆と別れて、釣り場に戻る前にピサを喰った。弁当屋は月曜休み。

戻るとカピタンが今日はもうダメだからやめよう、と言う。それなら俺は泳ぎたい。急いで着替えて戻り、足からドボン。波は全くなかった、はずだった。10分くらい泳いでいたら突然に波が高くなってきた。やばい、戻らなきゃ。岸に近づこうとするが波に引き戻される。いよいよ、やばい!何とか岸に手をかけてもまた引きずり戻される。水をだいぶ飲んだ。もう一度岸に手をかける。例のフジツボで指先が痛い。でもそんな場合ではない。また失敗。ダメか、CUBAに死す、か。もう一度岸に指をかける。渾身の力を込めて体を引き上げる。そのとき大波が俺を岸に打ち付けた。うまいこと岸に乗っかった!助かった!放心状態。防波堤からカピタンや地元の人たちが心配そうに覗き込んでいる。急に恥ずかしくなってきた。慌てて平静を装い、防波堤にあがる。でも、みんな俺を指差し、騒いでいる。自分の体を見ると、腹や背中、ひじ、ひざ、指先から大量に出血している。冷静になるにつれて傷口の海水が染みて痛くなってくる。カピタンが宿に戻って手当てして来い、というので、とりあえず血を拭き取ってもらい、宿へ帰る。全ての傷をマキロンで消毒し、オロナインを塗り、バンソウコウを貼る。血のついたTシャツを着替え、戻る。カピタンはまだいてくれた。俺の元気そうなのを見ると、ホッとした、という風に胸をなでおろすゼスチャーをしてくれた。心配かけました。カピタンは喉の治療のため帰った。帰りがけにカマス?のような細長い魚をもらった。喰え、と言う。ありがたく頂きます。

ひとりでヒリヒリ痛む傷と闘いながら海を眺めていると、青年が声をかけてきた。しかし、俺に声をかけてくるのはどうしていつもいつも男なのだろう、と内心愚痴をこぼす。傷が痛ぇ。彼は防波堤の下に降りよう、と言う。下で理由を聞くと、ポリシアに追われている、と言う。「ポルケ?」観光客に売春を斡旋したのがばれたらしい。でも、そんなに悪そうな奴には見えないので話をする。まだ18歳の学生だ。名前はアリアン。彼は服が欲しいと言う。それなら、持ってきただけで全く着る気がしない服が丁度あるからあげよう、と、カピタンにもらった魚を冷凍する目的もあり宿へ戻る。彼に服をあげ、4時頃まで話し込んだ。彼のエスパニョルはすごく早口でほとんど解らない。ポイントになりそうな単語を片っ端から調べまくる。彼は腹が減ったから家に帰る、と去った。またひとり、防波堤で海を眺める。30分後、彼が戻ってきて、家に誰もいなくて入れなかった、と言う。あれあれ。少しまた話すが、腹が減ってそうだったので、宿に戻り買い置きのパンにジャムを塗り、あげた。うまい、と彼は言った。CUBA人の生活は大変なのだろう。豊かな国ニッポンに住んでる人間には想像のつかないくらい・・・。

1月30日(火)

朝食のあとグランママの具合が良さそうだったので、冷凍した魚を今夜料理してくれるように頼んだら、一緒に下ごしらえすることになった。俺はかつてコックだったんだ、と言ったら彼女は驚いていた。塩、コショウ、たまねぎ、レモンをふりかけて冷蔵庫で解凍。そのあと、彼女と一時間ほど話し込んでしまった。島国のくせにCUBAではあまり魚を食べないこと、主食はイモでアルロス(米)はめったに食べないこと、などを聞いた。彼女の言ってることの80%は解らなかったが。

9時半過ぎて釣り場に。カピタンは自分の腕時計をたたき、遅いじゃねぇか、と笑っている。適当に言い訳をしておいた。午前中全く当りなし。

ここで俺が覚えた釣り用語講座。釣りをする=ペスカール 釣り竿=カーニャ デ ペスカール 釣り人=ペスカドール 泳いでいる魚=ペス 食べるつもりの魚=ペスカド 餌=セボ 当り=ピカ。講座って程でもないか。

釣り場を抜け出し、弁当屋で夕食の弁当を買い、ピサ屋で特注2枚重ねを喰う。

そうそう、カピタンに言いたい。通りがかりのアジア系の人を皆日本人だと思い込み、俺に誰でも彼でも引き合わせるのはやめて欲しい。今まで10人以上紹介されたが日本人はひとりもいないし、日本語が通じたのは林さんだけなんだから。でもエスパニョルが解らないから放っておこう。

午後から東へ500メートル移動して釣る。2時前当りがあり、引き上げようとすると、かなりの手応え。が、リールを巻き上げてる途中でバレてしまった。残念。2時半で釣りはお終い。カピタンにいつものクッキーをご馳走になり、別れる。

さて日没までの3時間半どうしようかな。元の場所に戻り、防波堤の上に大の字になってみる。風が気持ちいい。青空には三日月が。日本で見る月と同じだ。不思議な気分。いつのまにか昨日服をあげた青年アリアンが隣でアミーゴと大声で話している。眠くなってきた。そうだ、眼鏡をはずしておこう。普段から眼鏡をしているので眼鏡の所だけ陽に焼けずに白くなっているのに今朝気付いたのだ。非常にみっともない。逆パンダじゃん。寝ちまった。気付くと5時過ぎ。アリアンはまだアミーゴと話している。話に割り込み、俺の顔はどうだ?と尋ねる。彼の答えは「ビエン」。良かった。顔全体が黒くなったらしい。

6時過ぎ宿に戻る。イグナシオがいたので2週間前にカメラが盗まれたことを話し、保険の証明書にサインをもらった。俺の不注意だったので保険はいいか、と思っていたが、昨夜保険の冊子を読んでいたら第三者のサインでOK、と書かれているのを発見したのだ。イグナシオには何故もっと早く言わなかったのだ、と怒られたが、「ノ アブロ ムーチョ(うまく話せない)」と答えておいた。今日はイグナシオ ファミリアが夕食をご馳走してくれるらしい。例の魚を食べるのだ。俺が朝、グランママに日本では米を食べる、と言ったから、わざわざ米を炊いてくれている。CUBAの米は美味いよ。カピタンにもらった魚は美味しかったが、骨がゴツくてかなわん。おまけにテネドール(フォーク)では食べ難い。CUBAの主食のイモは美味い!というか、俺が適応してるだけかも。食事中に思い出した。パン・コン・ペルロのペルロは犬の肉か?という大問題。恐る恐るカレリアに聞いてみた。「パン・コン・ペルロのペルロって(ゼスチャー)カルネ・デ・ペルロ(犬の肉)?」彼女は吹き出し、腹を抱えて笑い出した。異常なほど笑っている。台所にいたイグナシオとグランママのところへ笑いながらよろよろ歩いて行き、ユーイチ、ユーイチ、ペルロ、ペルロ、と息も絶え絶えになって説明している。俺は訳が解らずスープなどをすすっていると、カレリアは缶詰を持ち出してきて、中身を見せこれがペルロだ、と言う。ウインナーじゃん。カレリアはイングレスでホットドッグと同じでウインナーのことをペルロって言うの、決して犬の肉じゃないワ、と言ってまた笑い出した。あ、成る程、ホットドッグね、そういやそんな喰いモンがあったなぁ。俺がホッとした表情を見せると更にけたたましく笑いが大きくなった。きっと彼女、明日は腹筋が痛いことだろう。日本では魚を生で食べること、寿司という名物があり皆大好きだということ、天ぷら、フジヤマ、の話題などで盛り上がった。でも、寿司を誰一人知らなかったので説明するのに骨が折れた。3日分くらいご馳走になった。ごちそう様でした。そうそう、エスパニョルにはいただきます、と、ごちそうさま、に当る言葉がない。何も言わずに食べ始めて何も言わずに食事が終るのだ。驚いた。さすがにもう弁当は喰えない。明日に回そう。CUBAは空気が乾燥しているせいか、常温で食品を置いておいても驚くほど長持ちするのだ。一応CUBAも冬、ということもあるのかも知れないが。夕食後、イグナシオに帰りに一泊しなければならないメヒコのカンクンの宿を予約してもらうためにメールを送ってもらった。アドレスは日本で調べてきてある。9時からテレビシオンでお笑い番組を見せてもらった。『奥様は魔女』のパクリのような番組で、ドラマ中に笑い声が入るというアレだ。とても面白い。言葉はさっぱり解らないが、一緒に見ていたカレリアと笑う所が一緒だったので、ま、いいか。時々思い出し笑いしそうだ。今夜は久しぶりの熱帯夜だ。

1月31日(水)

風がなく暑い。9時、釣り場に。いつものようにカピタンが餌をつけてくれる。もう、自分で出来るんだけどな。幼い少年がカピタンに仕掛けを作ってもらい、防波堤の下におりて仕掛けを振り回して投げる。地元の人でリール付きの竿を持っている人はあまりいない。糸巻きに直接おもりを付け、ぶんぶん振り回して投げるのだ。カピタンもしかり。何の反応もなく一時間が過ぎる。のんびりだ。カピタンは観光客相手に自慢話をしている。と、少年が虹色の縞模様のマス?を釣り上げた。20センチくらい。俺は大声で「カピタン!」と知らせる。少年もカピタンもうれしそうだ。直後、俺にも当りが。かかった、久しぶりの感触。やった、釣り上げた、と思った所で針がはずれた。あっ、と思ったが下のコンクリートの上に落ちた。すばやく防波堤から降り素手で捕まえる。ぬるぬるして上手くつかめない。そうだ、ビニール袋を持っていた。魚を袋に入れ、よじ登る。その時またもや足を擦りむいたが、うれしくて痛みなんか感じない。カピタンも拍手で迎えてくれた。釣れたのはカレイ?25センチくらい。以前釣ったのより若干大きい程度。小さくてもうれしい。この調子で、と再び投げる。と、また当り。今度は針ががっちり食い込んだらしくいい手応え。釣り上げた!ブルーの筋が入った熱帯魚だ。やはり25センチくらい。カピタンは喰うと美味いぞ、というゼスチャーだが、どう見てもマズそうだ。今日は大漁だ。2匹以上釣れたら大漁と俺は決めている。台湾の林さんが調度来たのでカレイ?をあげる。「ちょと小さいね」。俺を今日のランチに招待してくれると言う。1時ごろ行きます、と林さんと別れる。あとはさっぱり当りがなくなった。

1時前にカピタンに竿を預け、林さんの宿・パンチョさんの家へ。さっき釣った熱帯魚はカピタンがさばいてくれているので、お土産に持って行った。林さんの宿のリビングに案内される。テーブルには林さんと陳さんが作った本格的な台湾料理が並んでいる。すげぇ!インゲンと豚肉の炒め物、ニンニクと鶏肉と青菜の炒め物、八宝菜?の炒め物、きのこスープ、白米、それに俺が釣ったカレイ(?)の唐揚げだ。調味料は台湾から持ってきて、材料は近所の市場で買ったという。美味い美味い、本格派だ。CUBAに来て台湾料理が食べられるとは思わなかった(こればっか)。途中、マーさんという台湾の女性も加わり賑やかに4人でランチを楽しんだ。陳さんは台湾で養豚場を経営している大社長で、マーさんは巨大な貿易会社の社長、林さんは陶器のギャラリーの経営をしている、やはり社長だ。何だよ、俺だけ「ノ テンゴ トラバホ(無職)」かい?情けないやら美味しいやら。そして、自分で釣った魚を食べた。美味い!たぶん生まれて初めてじゃないかな、自分で釣って食べる、というのは。あ、思い出した。小学6年のときに担任の江頭先生と秩父の山奥でニジマス釣って食べたかもしれない。う〜む、記憶が曖昧なので、今回が初めて、ということにしておこう。で、そんなことよりも何よりもいちばんうれしかったのは林さんたちが台湾から持ってきた箸、だ!箸が使いたかったんだよぉ。俺は持って来よう持って来よう、と思っていながらうっかり忘れて来たのだ。うぅ、久しぶりに箸で飯喰ったぞぉ。やっぱ、アジア人は箸だよね。食事の後、マーさんが宿を探してるというので、また不動産の仲介をしてしまった。

3時半、まだ日没まで3時間ある。海に行こう。防波堤で昼寝。もちろん眼鏡をはずして。トニーが久しぶりにやってきた。エスポルディングのゴーグルは家にあるから、と言う。何だかうれしくなって、「ア テ(君に上げるよ)」と言ったら一瞬びっくりした表情を見せたが、すぐにいつもの笑顔に戻って「グラシアス」と言った。アリアンとそのアミーゴもやってきて賑やかになってしまった。昼寝したかったんだけどな。

追記 台湾でも日本のヤマンバギャルは有名だそうだ。

2月1日(木)

暑い、風もない。9時、いつものようにカピタンが餌をつけてくれる。本日の第一投、と下を見たら既に「チンチン・オマンコ」隊がいるではないか。やべぇ。でも今日は何だか様子が違う。俺に興味がないようだ。見ると別の釣り人が1メートルくらいのカマス?を釣り上げていた。デカイ。成る程、やはり子供だ、目先の面白さに心を奪われるのだ。おかげで静かに釣りが出来そうだ。昨日の少年がやって来て俺の隣にチョコンと座り、海を見ている。俺は何回か投げたあと、やってみるか、と誘うとうれしそうに竿を持つ。投げ方を教えるとすぐ上手く投げるようになった。そのうちカピタンが糸巻きの仕掛けを少年に渡し、少年は防波堤の下に降りる。静かな時間、照りつける太陽、何処までも青いアトランティック オーシャン、わずかな風。地球を感じる。

少年が釣り上げた。10センチくらいの小さな魚だがうれしそうだ。周りのみんなも微笑む。と、今度は俺だ。昨日と全く同じパターン。あの少年は福の神か、いや大漁の神か。30センチくらいのカレイ?俺にとっては大物だ。カピタンにLENGUAOという魚だと教えられる。辞書で引くとそれに該当する言葉はなかったが、似た言葉で「舌平目」とあった。何ィ?舌平目ェ?ここここ高級品じゃぁないですか。今までカレイだと思っていたのは実は舌平目だったって訳か。道理で美味かったはずだ。納得。

1時になり、日本からMAKOが到着する時間なので竿をカピタンに預けて戻る。カピタンが自分で釣ったウマズラハギをさばいて持たせてくれた。舌平目とウマズラハギをぶら下げて林さんの宿へ行く。魚をあげると昼食食べていきなさい、と誘われたが、日本から今日初めて会う友達が来るから、と断った。すると、今度ビーフンを作るからその時一緒に食べましょう、と言われたのでありがとう、と答え宿へ戻る。1時半いつものピサを食べてからPOVのビルの1階の太陽の照りつける玄関口でMAKOを待つ。眼鏡をはずし顔を焼こう。寝てしまった。3時。遅い。飛行機は1時着のはずだ。俺と同じように入国審査で引っかかってるのかな。イグナシオとカレリアが車で出かけるようだ。イグナシオは俺の顔を運転席からマジマジと見つめ、もうハポネスじゃないな、すっかりクバーノだ、と笑う。寝ている間に相当焼けたらしい。もうどうにでもなれ。4時、遅すぎる。カレリアがひとりで帰ってきた。俺は「トダビア(まだ)」と言ったが、待ちくたびれたので一緒に7階へ上がる。

4時半、予定を3時間半過ぎている。心配になってきた。事故でもおきてなきゃいいが。カレリアに彼女の乗る航空会社を予想して電話をかけてもらった。すると、今着いた、と。どうなってるんだ、中米の航空会社は!遅れすぎだ。5時頃MAKO宛てに日本の女の子から電話が入る。まだ来てない、と伝えるが、電話が遠くてよく聞き取れない。また電話します、と言って切れた。彼女も宿を探しているらしい。CUBAの通信事情はよくない。しょっちゅうつながらなくなるらしい。そういや俺がクリスマスに出したメールの返事が来たのは出発直前だったっけ。

5時20分MAKOは来た。一旦7階に案内し、カレリアに6階のカーリーおばさんの部屋を案内してもらう。MAKOはエスパニョルが上手い。しかもCUBAは2回目らしい。カレリアとの会話を聞いていたがさっぱり解らない。ベダードの案内がてらスペルメルカドへ行く、が6時を過ぎているので閉まっている。目の前のガソリンスタンドのメルカド(日本でいえばコンビニエンスストア)に行き、水とコーラ、お菓子を買い帰る。やっぱスーパーマーケットよりコンビニの方が高いのは何処の国でも同じらしい。イグナシオが仕事から戻ってきていたのでMAKOを紹介する。やはり会話が解らない。「本当にユーイチのアミーガかい?」と笑われた。そういうことだけは解るのだ。MAKOに持っていた予備の地図をあげ、彼女のアパルタミエント(アパート)探しは土曜日に決まった。このときMAKOがイグナシオの職業は技術者だと聞いた。初めて知ったよ。彼は土曜日休みなのでMAKOにいい部屋を探してくれるだろう。それにしても、あんなにエスパニョルが話せるのに、なぜまだ大学で学ぶ必要があるんだろう。MAKOにさっき女の子から電話があったっことを知らせ、明日8時の朝食で会おう、と別れる。寝よう。

2月2日(金)

暑い。今日はマークスとソニアとの朝食以来久しぶりの3人の朝食。MAKOの他に昨日夕方電話のあったSAYOという日本の女の子が一緒だ。昨夜遅くに来たらしい。俺は部屋のドアをノックされたらしいが熟睡中で気が付かなかったのだろう。SAYOもカーリーおばさんの部屋に泊まれることになった。MAKOとSAYOは行きの飛行機が一緒だったらしい。昨日の飛行機が遅れたのはメヒコシティの空港に霧が猛烈にたちこめていたからだと。別に中米の航空会社がいいかげんな訳じゃなかったのね、ごめんなさい。

お互い昨日今日初めて会ったとは思えない程話が弾み、ほとんど朝食を食べなかったが腹いっぱいになってしまった。人間が満腹を感じるまでの時間は10分だから。俺は先に釣り場へ。

カピタンにハポネス チカ(日本の女の子)が来るよ、と言ったらニコニコしている。俺が事前に大宣伝していたので皆待ちわびているようだ。15分後2人は来た。まず、カピタンを紹介する。しまった、カピタンが声の出せないのを知らせてなかった。でも、2人はすぐ理解してくれた。エスパニョル ムーチョのMAKOとイングレス ムーチョのSAYOの登場で最初は恥ずかしがっていたニーニョス(子供達)も2人に近寄ってくる。俺はMAKOに写真をたくさん撮ってもらった。釣ったところを写して欲しいがまだ釣れない。

10時半、2人は買い物に出る。すぐ近くのスペルメルカドだ。俺は釣りを続ける。しばし。ピカ(当り)!かかった、やみくもに巻き上げる。バレた、惜しい。カピタンが走ってきて防波堤に飛び乗り、それじゃあダメだ、一回竿を引き上げたらリールを巻きながら竿を戻す、これを繰り返すんだ、と教えてくれる。再びさっきと同じあたりに投げる。と、またピカ!竿を引く、かかった、今度は確実だ、すごい引き、デカイぞ。カピタンがすっ飛んできて竿をふんだくる。カピタンは慎重かつ大胆に糸を巻き上げていく。下のコンクリートまで魚が来た。でも重すぎて持ち上がらない。カピタンは俺に下に行け、と合図する。俺は素早く、下に降り、滑らないように気をつけながら魚の糸を手でつかむ。引っ張りあげる。赤い大きな丸々太った鯛のような魚だ。大喜びで防波堤の上に上がる。そうだ写真だ。俺はカピタンに魚を指差しながら「エスト キエロ エスタール アオラ」と訳の解らないエスパニョルで、そのままにしておいて欲しい、と念を押し、解ってくれたようなので走ってメルカドに行く。MAKOを探す。いた。「ささささ魚が釣れた!撮って撮って撮って」と日本語まで訳解らなくなりながらも、カメラを借りた。会計の済んでないMAKOは置いてカメラとSAYOを引きずって釣り場に戻り、SAYOに写真を撮りまくってもらった。撮影に気が済んだらカピタンが魚をさばいてくれる。こいつぁ美味いぞと、言っている。SAYOはさばいているところも自分のカメラで撮影している。俺は次を狙う。が、今日はもう釣れなかった。釣った魚はLOROという魚で赤みを帯びた鯉とか鯛のような魚だ。今までで一番大きく一番引きが強かった。今日は1匹だったけど大満足。でも冷静に考えると釣り上げたのは俺じゃなくカピタンじゃん。ま、いいか。ノソートロス(我々)が釣ったのだ。

1時前にカピタンと別れ、いつもの弁当屋に2人を連れて行く。おじさんに2人を紹介し、注文。MAKOは弁当とジュース、SAYOはパン・コン・ビステック(くずし肉)とジュース、俺はいつも通り弁当とパン・コン・ペルロと2人のジュースより1ペソ高いジュースを頼んだ。おじさんは袋に入れてくれようとしたが、今日はここで食べる、と告げるとトレーにテネドール(フォーク)付きで渡してくれた。相変わらず不衛生だ。MAKOは汚いトレーと汚いテネドールにたじろぐが、俺がいつも喰ってるけど全然平気さ、と言ってモリモリ食べ始めるのを見て安心したように食べ出す。SAYOは注文したパンが相当美味かったらしい。感激していた。俺も次はペルロでなくビステックの方を食べてみよう。MAKOも弁当がすごく美味しかった、と言っている。衛生上もたぶん問題ないよ。で、俺が頼んだジュースがこの世のものとは思えない美味さで、皆で回し飲みしてしまった。美味い!3ペソ!レストランなんかで食べるのが馬鹿馬鹿しくなるだろ、と言ったら2人とも大きく頷いた。

一旦宿へ戻り、MAKOとSAYOの要望でラ・アバナ・ビエハにタクシーで行く。3ドル。SAYOは観光、MAKOはブラジミールの住んでいるのと同じビルにいるドクターに前回来た時の写真を渡したいらしいのだ。でも、ブラジミールには会いたくない。3人でどうしたものかと悩むが、CUBA初めてのSAYOよりも俺が届けに行った方が早いので俺が引き受けた。ビルに行くとブラジミールはいた。「ハポネ」「ブラジミール」握手をし、彼に聞く。「ドンデ エスタ ドクトル?」彼は愛想良く教えてくれた。俺は階段をあがりドクトルの部屋をノックして中にいたおばあさんにドクトルに渡してください、と言い、戻る。ブラジミールにまだ肝臓の状態がよくないんだ、と説明し(また嘘をついてしまった)5分くらい話して帰ろうと足を踏み出すと犬のうんこ踏んだ。げげ。笑い転げるブラジミール、よかった。何だかわからないが、よかった、よかった。笑顔で別れる。ビエハを3人で観光してまた宿に戻り、今度はオテル・セビージャ前に6時に集合らしい。何が始まるやら、楽しそうじゃん。6時にオテルに着くと他の日本の女の子ばかり合計6人も集まった。皆ソロ・ビアヘラ(独り旅)で来たのだが、行きの飛行機が皆一緒でその時に約束したらしいのだ。何だよ、俺も2月1日に来りゃよかった。集まったのはMAKO、SAYO他日本の女の子4人、アメリカの女の子1人、クバーナ1人、MAKOのアミーゴで太鼓の先生のロベルト、同じくアミーゴで絵描きのアリエルの計11人だ。それからフジワラさんという夫婦もいたが、ご主人の腹の具合が悪いとのことで先に帰った。彼は夜釣りをするらしい。また今度。

絵描きのアリエルはCUBAの若者にカリスマ的人気があるらしい。MAKOの今回のCUBA渡航の目的はエスパニョルを学ぶ他に、アリエルの絵を日本に紹介することもある。日本では彼の個展を開こうという計画が進められているのだという。MAKOが撮った写真を俺が持ち帰り、プロデューサーに渡す、という大役を引き受けてしまった。えらいこっちゃ。一緒にいたクバーノがアリエルを見て、この人雑誌で見たことがある!と興奮気味に語っていたので奴は見かけによらず(失礼)すごい人物なのだろう。大変な人とアミーゴになったもんだよ。

11人でカテドラルの前のカフェテリアに陣取り、エスパニョル、イングレス、ハポネスの入り混じる訳の解らない空間を作ってしまった。しまいにゃ隣にいたメヒコのおじさんの集団も加わり大騒ぎ。カテドラルの神聖な雰囲気が台無しだ。生バンドの演奏でサルサやチャチャチャを楽しんだ。明日も同じメンバーで6時にサバド・デ・ルンバに行く約束をした。場所を聞いておく。

夜9時半、俺とMAKOとロベルトはお先に失礼。皆はこれからカサ・デ・ラ・トゥーラというディスコに行くらしい。すごいパワーだ。ロベルトと別れ、5ドルだと言い張るタクシーを4ドルに負けさせてベダードに戻る。腹減った。林さんにMAKOを紹介するという大義名分で夜遅くに押しかける。林さん何か食べるものありませんか?ありませんね。ビーフンの約束をしてPOVに戻る。MAKOが今朝作ったという鶏肉料理の残りで遅い夕食。カーリーおばさんはいないようだ。11時近くまでお互いの話やメヒコの話で盛り上がり、俺はそーっと7階のドアを開ける。イグナシオとグランママがまだテレビシオンを見ていたので助かった。赤ちゃんを起こさないようシャワーをそーっと浴び、寝る。

2月3日(土)

朝食後、MAKOにホテルの廃墟でジャグリングの練習風景を写してもらう。SAYOは7階でメールを打っている。9時45分MAKOと別れ釣り場へ。カピタンにまた遅い、と言われる。今日は風もないのに海が荒れている。カピタンが海の向こうを指差す。見ると入道雲がもくもく水平線に這うように右から左へびっしりだ。海の向こうは嵐で、その影響がでているらしい。全く当りがない。2時近くまで全くダメ。カピタンは帰った。

海を眺めていると林さんと陳さんが来た。スペルメルカドに付き合う。食材を買い込み、林さんはまだ何か探しものがあるらしい。野菜の皮むき器が欲しいらしいのだ。店を何軒か回るが売ってない。CUBAでは生活に必要最低限なものは売っているが、そういう珍しいものは売ってないのだ。俺はふと日本のテレビで見た情報を思い出した。ペットボトルのキャップで皮がむける。林さんに伝えると、やってみる、と言った。昼食に誘われたのでありがたく頂戴する。チャーハンと牛肉の煮物、キャベツの炒め物。やっぱ台湾料理は美味いや。今度は台湾に行きたくなっちゃう。3時半まで林さん、陳さん、やはりパンチョさんの所に宿泊しているクバーノ2人と談笑する。明日夕方6時からビーフンパーティー決定。クバーノ2人も誘う。彼らにビーフンを説明するのに苦労する。麺・ヌードルを食べたことがないらしい。見ればわかるよ。明日は賑やかになりそうだ。4時前弁当屋に行く。が、既に売り切れていた。おじさんに今日はおしまいだ、と謝られた。仕方がないので隣の屋台でサンドウィッチを買い、持ち帰る。

5時サバド・デ・ルンバに向かう。陳さんも行きたいというので一緒に連れて行く。ベダードの住所は通りのナンバーで表す。通りにはそれぞれアルファベットや数字がついていて、その交差する地点でだいたい解る。6時過ぎ場所が解らず、とある店の兄ちゃんに聞いたらここがそうだ、と言われた。6時を10分ほど過ぎてタクシーでロベルトとMAKO、SAYOが来た。次々と昨日のメンバーが揃う。サバド・デ・ルンバはいわゆるディスコで生バンドの演奏がある。でも、俺の苦手なタバコの煙が充満しているので耐えられず8時に失礼する。

昨日のメンバーの1人のクバーナのニウカという女の子がついてきて、家に来い、と言う。もう遅いから、と断るが、来い来いうるさい。断りきれずに行くと、家族を紹介された。腹が減ったのでレストランで何かおごってくれ、と言う。家族全員分。俺が財布を出し、1ドル25セントしか持ってないよ、と言うとニラまれた。ムカツク。明日ニウカは釣り場に来ると言う。困ったなあ、ボディシャンプーでもあげようかなぁ。歩いて帰る。

 2月4日(日)

MAKOは結局カーリーおばさんの所を安くしてもらい、住み続けることになった。朝食のときイグナシオファミリアと一緒の写真を撮ってもらう。フィルムが終了したので預かる。9時前釣り場へ。波はまだ荒い。昨夜雨が降ったようだ。路面がぬれている。11時、全く釣れる気配なし。スペルメルカドは開店している。日曜日は1時までだ。釣り場を抜けフィルムの現像にスペルメルカドに行く。カメラ店のお姉さんに全て2枚づつ現像してくれ、とボディランゲジを交えて頼む。するとお姉さんは「ア ラ ウナ」「は?」「ア ラ  ウナ」「はぁ」。何と2時間後の1時に出来上がるらしいのだ!う〜む、CUBA、遅れてるのか進んでるのかさっぱり解らない。名前を告げ、店を出る。1枚30センターボ、日本と同じくらいだ。大判プリントだが。

釣り場に戻る。カピタンに、もしかしたらニウカというクバーナが来るかもしれないけど俺は彼女があまり好きではない、と伝える。カピタンは両手を広げて笑った。1時10分前、全く釣れない。メルカドのカメラ屋に写真を引き取りに行く。25枚×2枚×30セント=15ドラール。現像料は込みらしい。その場でカピタンにあげる写真、イグナシオファミリアにあげる写真、MAKOとSAYOにあげる写真、自分の分とをより分け、「グラシアス」と店を出る。「アスタ ルエゴ」。

釣り場に戻り、カピタンに写真をあげる。カピタンは目を丸くして子供のように喜んでくれる。通りかかる人、誰彼構わず見せて回っている。相変わらず釣れない。2時、ニウカは来なかった。俺がホッとした、というゼスチャーをすると、カピタンも同じゼスチャーをしてくれる。釣りは終了。

日光浴中のオーストラリアからのトゥーリスタとカピタンとエドゥオルドというカピタンを慕う少年と俺とのエスパニョルとイングレスの混ざった会話が始まる。カピタンは61歳で元ダイバー。ダイバーを45年続けていたが潜りすぎが原因で喉に穴が空いてしまい、今は潜れないこと。鼻をつまんでも喉の穴から呼吸ができること。嗅覚が失われていて何も匂わないこと。オーストラリア人の靴の臭いをかぐ振りをしておどける。奥さんと4人の子供がいること。全て今日初めて聞いた。今までで一番大きな獲物は何だ?と聞くと3メートルのサメだ、と答えるカピタンの武勇伝が続く。海は荒れているが世界は穏やかだ。いつまでも続かないかなぁ。こんな時間。

カピタンが喉の治療のため帰ったあともたわいもない話が続く。このエドゥオルドという少年はとても好感の持てる素直な少年だ。もしかしたら青年かな?俺の根がかりした釣り針を3回くらい、はずしてもらっている。近所のガキとは違い、決して自分からは欲さない。きっと腹減っているだろうに。4時過ぎ、林さんと陳さんがやってきて今日はガスがつかないのでビーフンパーティーが出来ないかもしれない、と言う。昼飯を喰わなかったのは6時からのビーフンパーティーのためだったが、それを聞いてとたんに腹が減ってきた。「ティエネ アンブレ?テンゴ アンブレ」とエドゥオルドに聞くと「アンブレ」と言う。そりゃそうだ、朝からずっと何も喰わずに一緒に海にいるのだ。荷物を林さん陳さんに預けて、一緒にフリーマーケットのサンドウィッチ屋に行く。デッカいサンドウィッチと缶コーラをおごって俺も同じ物を食べた。CUBA市民はとても貧しいので、イグナシオ一家のような裕福な家庭くらいしか一日3食は食べられない。一日1食か、ひどいときには2〜3日何も食べられない、ということが普通らしい。でもエドゥオルドは俺とオーストラリア人のくだらない話に付き合ってくれた。決して自分からは腹減っただの、1ドルくれ、とは言わない。今日は気持ちよくおごれた。(こういうことを考えてしまうのは日本人の驕りで、CUBAの人たちを馬鹿にしているんじゃないか、と思う自分がいる)

5時頃、林さんたちと林さんの宿へ向かう。まだガスは出ないようだ。家主のパンチョさんも出てきて色々いじってるうちにガスが出た。30分遅れで始めようということになり、俺はPOVに戻る。カーリーおばさんの部屋には5時45分に俺が迎えに行くことになっているので、それまでにシャワーを浴び汚れを落とす。カーリーおばさんの所へ行きMAKOとSAYOに30分遅れになったことを告げ、写真で盛り上がる。MAKOが日本で撮ってきた雪の写真はカピタンもびっくりしてたっけ。まだ時間があるのでイグナシオファミリアに写真と俺が描いたファミリアの絵をあげる。とても喜んでくれてうれしい。

6時半、林さんたちの宿でパーティーが始まる。林さん、陳さん、マーさん、MAKO、SAYO、昨日誘ったクバーノ2人、俺、の8人で大騒ぎだ。クバーノ2人はビーフンが気に入ったらしい。おかわりをしている。俺が釣った魚もあった。途中、俺とマーさんがクバーノ2人に箸の正しい持ち方をレクチャーする。彼らは箸なんて見るのも初めてだ。が、30分もすると2人とも箸が使えるようになった!ふと日本の女の子2人組を見ると箸の持ち方がなってない。どうなってるんだ。MAKOとSAYOはほっぺたをふくらまして「だって出来ないんだもん」とふてくされている。恥ずかしいからちゃんと箸を持てるようになりなさい。あまった食料は袋に入れて俺とMAKOとSAYOとでそれぞれ戴いた。やっぱ次は台湾だな。食事が終わり談笑していると、おとといと昨日も一緒だった名古屋のYUKOが来てくれた。彼女は皮膚に湿疹ができたらしい。きっとその湿疹は食べ物が原因だ、というMAKOの推理から、林さんが、胃腸に効くプーアル茶を入れてくれた。CUBAでもカラオケは有名で、男性名詞にして「エル カラオケ」というらしい。

ここでの談笑中に、俺が入国のときにゴタゴタした理由がわかった。審査官が見せろ、と言っていたのは帰りの航空チケットの確約書だったらしいのだ。そうか、そうだったのか。俺は持っていたにもかかわらず、思い込みの勘違いで見せなかったのだ。成る程、CUBAは社会主義国だ。短期の旅行者が帰りのチケットも持たずに入国しようとしたら誰だって怪しむよなぁ。8時頃から降りだした激しい雨もあがり、10時半、お開きに。

2月5日(月)

今日はMAKOは大学のクラス分けの試験で8時に家を出た。朝食のときにSAYOにカンクン空港の様子を聞く。SAYOはカンクン空港を何度か利用したことがあると言う。行きに相当バタバタしたおかげで、だいたいは解るが、念には念を入れておいたほうがいい。何しろ俺は海外旅行、帰るのも初めてなのだ。

午前中、全く釣れず。風が強く、防波堤に立っていると飛ばされそうになる程。しかも寒い。カピタンも困り顔だ。全くやる気が出ないので、午後からラ・アバナ・ビエハに買い出しに行こう、という話になった。

12時頃、フジワラさん夫妻が来てくれた。サバド・デ・ルンバでも一緒だった。旦那さんは音楽を、奥さんはエスパニョルを、それぞれハバナ大学ではない大学で習っていると言う。あと9ヶ月はいるつもりらしい。聞けば、ベダードにはたくさん日本人が住んでいるし、彼らも、POVのすぐ近くに住んでいると言う。何だよ、早く言ってくれよ、俺はさみしかったんだぞぉ。フジワラさんにも帰り方のレクチャーを受ける。必ず空港では2時間前までにチェックインすること。

1時、釣りをやめて、ビエハに行く前にカピタンを食事に誘う。昨日、林さんたちにもらった台湾料理が山ほどあるので、一緒にたべましょう。POVに連れて行き、イグナシオファミリアを紹介する。イグナシオたちは昨日、写真を見たのでカピタンの顔は知っている。テーブルに座ってもらい、俺は料理を温めなおす。俺が台所に引っ込んでいる間、カピタンはキョロキョロして落ち着かず、居心地が悪そうだった。ビーフン、酢豚、牛肉ご飯を2人で全部たいらげた。7割方俺が喰ったけど。カピタンも昨日のクバーノと同じで、ビーフンが美味い、と言う。食事の後、俺の部屋に案内し、絵日記を見てもらう。上手い、と誉めてもらった。でも、いまいちカピタンの顔色がさえない。どうやら腹の調子が朝から悪かったらしい。早く言ってよ。

2時、カピタンの家へ戻る、が、誰もいない上にカギがかかっていて中に入れない。カピタンはベダードでの釣りのときは汚い格好、他へ行くときはおしゃれをするのだ。こんな汚い格好じゃブスに乗れない、着替えたい、と言う。俺はいつもの格好の方がカピタンらしくて良いと思うが、本人が嫌なんじゃ、しょうがない。カピタンの家が見える公園のベンチに並んで座って、家族の帰りを待つ。会話は少ないが、隣に座っているカピタンのやさしさが感じられる。「日本からどのくらい時間がかかった?」「飛行機は全部でいくらかった?」「あさっての帰りの便は何時だ?」そうだ、俺はあさって帰らなければならないのだ。そう思うと悲しくなる。

「どうしてCUBAに来たんだ?」

「夢だったんだ」

と、答えようと思い、「夢」を辞書で引くために下を向こうとするが、涙が零れそうになるのでやめた。

家の人が戻ってきた。カピタンは家の中に入っていく。俺はひとりベンチに座る。自然と零れ落ちる涙。向かいに座っていた子供が俺を不思議そうに見る。眼鏡をずらし、拭う。が、止まらない。恥ずかしい。後ろを向き、子供の視線からはずれる。カピタンが戻るまでに止めなきゃ。

ブスでビエハに行く。針、おもりなどをシコタマ仕入れ、帰りのブスを待つ。カピタンは俺がマニが好物なのを知っているので、しきりにマニを勧めてくれる。4本も喰った。鼻血が出そう。ベダードに戻る。明日の天気は良くないかも知れない。明日の朝、銀行に行かなければならないので9時半ごろになる、と告げると、じゃあ、10時にしよう、とカピタンは言った。

あと2日。

10時、YUKOが夜のプラサ・デ・ラ・レボルシオンのシェ・ゲバラを見に行こうと言うので、MAYUKO、SAYOと一緒にタクシーで向かう。帰りにYUKOの宿へ行く。中に入るとフジワラ夫妻もいた。ここにもう3ヶ月住んでいると言う。本当にPOVから近い!何だよ、こんなに近くに頼れる人たちがいたんじゃないか。帰る寸前になって、なんたるこった。でも、最初の3週間、独りでがんばって最後に日本人に会える、これで良かったのだ。逆だったら、たぶん耐えられなかっただろう、CUBAという国に。

UKOさん、夜、シェ・ゲバラのオブジェは光りませんよ。

2月6日(火)

今日は1人で朝食。MAKOは学校、SAYOは林さんたちにもらった残り物を食べると言うから。9時、オテル・リビエラの中のエル・バンコ(銀行)に行く。残金が10ドルを切ったので、帰りのメヒコのカンクン用に100ドル下ろす。VISAカードとパスポートを渡すと、また暗証番号を押さずにすんなり100ドルもらえた。未だに良く解らん。宿に一旦戻り現金を置いて、10時前、釣り場に。昨日の予想に反して、風も波も弱く、まずまずの天気だ。カピタンは「明日何時に出る?今度いつ来る?」と同じ質問ばかり繰り返す。「マニャーナ」と言ってから自分の胸に片手を当てる姿が寂しそうだ。涙が出そうになるので釣りに専念する。でも集中できない。気付くと涙が出ている、慌てて拭く、ということを繰り返した。15センチくらいの舌びらめがかかった。ピカ(あたり)があったのも気付かないくらいで、リールを巻き上げたらついていた、という感じだ。1時前、終了。カピタンとエドゥオルドに、まだここにいるか?と尋ね、宿に戻る。Tシャツ2枚と靴下2足、布製のバッグを持って釣り場に戻る。Tシャツは1枚ずつ、靴下は前からカピタンが欲しがっていたのでカピタンに、布のバッグはカピタンがいつもビニール袋に道具を入れてるのを見かねていたのであげた。

今日は今からポリシアに行こうと思っている。昨夜フジワラさん夫妻にカメラを盗まれた話をしたら、ポリシアの調書があった方が確実に保険が降りる、と言われた。いいの、いいの、俺の不注意なんだから、と言うと、話のタネに行って来い、と彼らは言う。MAKOもSAYOも同じことを言う。そうだな、話のタネだ、と、行くことに決めたのだ。ポリシアに行くのは何時でもよかったが、これ以上、カピタンたちといると、きっと涙が出てくるだろうと思い、すぐに一旦宿に戻る。

イグナシオがいたのでポリシアの場所を聞く。パスポートと宿代の領収書を持って行け、とアドバイスされる。その他に、ツーリストカード、明日の航空券予約書、カメラの説明書、地図、ペンを持って出る。ポリシアはマレコン沿いにあった。門番?にあらましを説明する。エスパニョル+ボディランゲジで。通じた。20分ほど待たされて、別のポリシアが車に乗れ、と言う。パトカーだ。日本でもパトカーなんか乗ったことがないのにCUBAで乗る!ちょっとウレシイ。車の中で門番に話したのと同じ説明をする。途中、ガコンガコンと車の後ろからけたたましい音が聞こえる。何かが車から落ちたらしい。それを引きずったのだ。道路のど真ん中に車を止め、前の座席から飛び降りる2人のポリシア!かっこいい。車のナンバーがはずれたらしい。カッチョ悪ィ。ナンバーを取り付けるのに10分、その間、後ろは大渋滞だ。恥ずかしい。連れて行ってもらった先は英語の話せるポリシアのいる所だった。彼がイングレスで質問し、俺がエスパニョルで答える、という摩訶不思議な珍問答が続く。明日の飛行機で帰る、と告げると、とても調書を作るのには間に合わない、と謝られたのでサインだけでいい、と言ってサインと日付をもらった。もしかしたら、日本で勉強した、にわかエスパニョルが一番役立ったのは今日かも知れない。最後のポリシアさんは風邪を引いていたらしく鼻をグシュグシュさせながら俺の話に付き合ってくれました。ありがとう、CUBAのポリシアはとても親切です。

宿に戻り、イグナシオに上手くいった旨を報告し、荷物を置いて弁当屋に。ジュースとパン・コン・ペルロをその場で食べ、弁当は持ち帰ることにする。おじさんに明日帰る、と告げるとびっくりしていた。今度は来年くるんだろ、と言われ、また涙がでそうになったので「シィ」と答え、「グラシアス」と手を振った。いつものピサ屋はなぜか休みだった。

 マレコンを歩いて行くと、顔は知っているがあまり話したことはない釣り人がこちらに向かって歩いて来る。釣り竿を持っている。俺は「オラ」と挨拶し、彼は河口で今から釣るらしいのでついて行く。まだ4時前だ。彼は今日50センチクラスのデカい奴を釣ったらしい。河口に着くと、やはり顔は知っているが話したことのない釣り人がたくさんいた。皆、俺が明日帰るのを知っているらしく、質問攻めに遭う。明日何時の飛行機?日本までどのくらいかかる?カラテ、ジュードー・・・。最後に交流が持てて良かった。カピタンによくおごってもらうクッキー屋の息子も盛んに俺に質問する。ペス・トランペッタって知ってる?と聞かれたので、音楽は一切ダメなんだ、と答える。着いて来い、と言うので従うと、細長いくちばしを持った細長〜い魚を見せてくれた。これがペス・トランペッタというのさ。成る程、確かにくちばしがトランペットのようだ。初めて見た、と言うと嬉しそうに笑った。プテラノドンと表現した怪鳥は実はペリカンだと知った。黒人の痩せ細った少年が釣りをしているが誰も彼には声をかけない。彼も誰とも話そうとはしない。釣れないので彼はヒョロヒョロと帰っていった・・・。6時半を過ぎ、陽が沈む。月は満月に近い。日本で見る月と同じ模様。不思議。地球を感じる。7時までここにいよう。アスタ ウン ディア(またいつか)。

2月7日(水)

朝7時半MAKOが学校に行く前にフィルムと手紙を預かり、カバンのポケットに入れる。このフィルムには、CUBAの若者にカリスマ的人気を誇るアリエルという画家の絵の写真が収められている。日本で彼をプロデュースするための素材となる。責任重大だ。無事日本のプロデューサーに届けなければ。MAKOは学校へ、SAYOと俺は朝食へ。MAKOが別れ際に抱きしめてくれた。ちょっとうれしい。朝食が終わり、荷物の最終整理をしているとフィルムがない。入れたはずのカバンのポケットに入ってないのだ。おかしい。そんなことがあるはずはない。もう一度ポケットを探す。ない。顔面蒼白。SAYOも駆けつけ捜索が始まる。ないものはない。SAYOはまた撮るから心配しなくていいよ、と言ってくれる。そう言われてもなぁ。そろそろ9時だ。SAYOの言葉に甘えて、釣り場へ向かう。俺は疫病神に最後まで取り憑かれているらしい。不安。

カピタンは元気がない。辛い。餌をつけてもらい、投げる。糸の先の海を見る。涙が出そうになる。慌ててこらえ、誰もいない方を向く。集中しよう、フィルムのこともある。でも、気を抜くといくつもの思い出が駆け巡り、涙がたまってくる。カピタンが防波堤の上に乗りそばへ寄って来る。俺の隣にチョコンと座る。見て見ぬふりをする。が、とめどもなく溢れる涙。また来るさ、また、来たら会えるじゃないか。10時、あと1時間。カピタンは観光客と話したり、俺のそばへ来たり。でも、ゆっくりだ。エドゥオルドもいる。CUBAの海がある。俺がいる。11時。「ウルティモ(最後)!」俺は静かに叫び、竿を振る。「ノ ピカ、ノ プエド ペスカール、ペロ エスタモス エン クーバ」

カピタンに釣り竿を渡し、握手を交わす。涙は落ち着いている。続いてエドゥオルドとも握手。と、カピタンが俺を抱きしめる。とたんに溢れ出す涙。もう止まらない。「アスタ ウン ディア!」手を振り、作れない笑顔で走り出す。マレコンを渡り、振り返る。手を振る。PANA TAXI乗り場まで来て、また振り返り手を振る。カピタンはまだ手を振っていてくれる。さようなら、また来るよ。きっと。

ピサ屋は残念ながら今日も休みだった。また来るからいいね。

朽ち果てたオテル跡。

POVに戻る。1時間後に出発しよう。フィルムはあきらめた。SAYOが来て、大丈夫だから、と言ってくれる。12時半、グランママとお手伝いさんと抱擁を交わす。「オトラ ベス ア クーバ」微笑むママ。カギを返し、階段で7階から一気に駆け下り早足でPANA TAXI乗り場へ。カピタンたちはもういない。「アエロプエルト ポルファボール」

 

そのあと。

パナタクシーの運ちゃんが、チケットはどこの航空会社だ?と聞くのでメヒカーナかアエロカリベだ、カンクンへ行く、と答える。するとカンクンなら5番ゲートだ、と、韋駄天のごとくすっ飛ばす。ホセ・マルティ国際空港は1番から5番のゲートに分かれていてそれぞれ場所がとてつもなく離れているらしい。

5番へ行く道が今日に限って封鎖されている。運ちゃんは任せときな、と、引き返す。嫌な予感。俺には初日から疫病神が300人くらい取り憑いているんだから。予感的中。道に迷った。とてつもなくド田舎に迷い込んだぞ。大丈夫かな?3人の地元の人に道を聞いて何とか5番にたどり着いた。道に迷ったので途中からメーターを倒してくれている。15ドル。よかった、フライトの2時間10分前。チェックインしよう。と、係官が怪訝な顔をしている。また何かあるんですか!どうやら俺のチケットはメヒカーナ航空ので、5番はアエロカリベ専用ゲートだと言う。行きはアエロカリベだったのに。メヒカーナは3番だ。もう何があっても驚かないぞ、俺は。さっきのタクシーは帰ってしまっている。でも、すかさず別の運ちゃんが俺を5分で3番ゲートに運んでくれた。2ドル。助かった。

到着窓口の寒々とした雰囲気とは打って変わり、出発ゲートは華やかじゃありませんか。ホッとするなあ。インフォルマシオン(インフォメーション)に行って、チェックインの場所を聞いた。俺の前に並んでいるカップルは東洋人だが話し掛けないでおいた。1時間55分前、チェックイン完了。荷物を二つ持ち込みたいと言い張ったが一つだけだ、と持っていかれた。しょうがない。でも、軽くていいか。ちなみに帰りの荷物はは、行きの重量の3分の2に減っている。さっきのカップルがモニターを見ている。俺もモニターで自分のフライトを確認しようと近付く。2人は日本語で話している。「日本人?」と聞くと二人はうれしそうに「そうです」と答えた。お互いに初海外旅行だということ、彼らは新婚旅行でCUBAからカンクンへ行くこと、がわかった。CUBAには1週間ほどいたらしい。カンクンまでの飛行機が一緒で、席も隣同士だったのでカンクンまでちょいとおじゃま虫になる。お互いに初めての海外だけど何かと心強い。出国審査を通り、出発ロビーのベンチに座る。俺がメヒコは怖いらしい、と言うと真顔になったので、でもカンクンは大丈夫、と打ち消した。本当かなぁ。彼らは俺と同じくカンクンでエラい目に遭ったらしい。全く俺と同じ目に。話しながら何となくカバンをいじっていると、あった!フィルム!もう一つ隠しポケットがあって無意識に俺はそこに入れていたのだ。あぁ、よかった。電話しよう電話。ロビーにはカード式電話しかない。明日カンクンからかけるか、ダメだったら日本からかけよう。

と、「コマッテナイネ!」「何であんたたちここにいるんだ!」思わず日本語で叫んでしまった。マークスとソニアが目の前に腰掛けニコニコしている。再会を喜び、近況を報告し合う。彼らは毎日レンタカーであちこち回り、のんびりしたらしい。俺はイグナシオたちは元気だ、と伝え、自分の足を出し靴下をめくって、陽に焼けてない方を指差し「ハポネ」、焼けてる方を「クバーノ」と言って笑わせた。彼らも同じ飛行機でカンクンへ行くのだ。カピタンとの別れは哀しいし、道連れはできるし、フィルムはなくなったと思ったら見つかるし、マークスたちには再会するし、今日は何だかめまぐるしい。マークスとソニアは後ろの方の席、俺達は前の方だ。飛行機にはもう一組日本人カップルがいて、俺にガデマラに行ったことがあるか、と聞く。初の海外旅行なんです、と答えると、びっくりして「ベテランに見えました」と言った。そうか、これだけ陽に焼けて、CUBAに詳しくて、エスパニョルがちょいとだけ話せるとベテランに見えるのか。ちょっと誇らしい。

カンクン、やはり解り難い。道連れがいてよかった。1人じゃ半ベソだ。バッグを受け取り、入国審査で出入国カードに90日と書いてもらい、出る。マークスとソニアは言葉が解るのでスイスイ進んでいく。「アスタ ウン ディア」と別れた。ブスのコレクティーボ(前売り乗車券)を1人9ドルで買い、ブスを待つ。これはSAYOから学習済みだ。ブスを待つ客が5〜6人になると相乗りで発車する。俺達の他にアメリカ人?の老夫婦を乗せ出発。この乗合ブスは客の泊まるオテルまでそれぞれ運んでくれる。当然一番遠いオテルに泊まる客は最後に降ろされる仕組みだ。

カンクンきれい!CUBAの古い建物ももちろん美しいが、カンクンは清潔なきれいさがある。まず、老夫婦が降りる。またしばらく走り、続いて日本人カップルが降りる。彼らはカンクンで3泊する。車内で名前と住所を交換した。降りるときに俺と一緒に写真を撮りたいと言うので、エスパニョルで運転手さんに頼む。奥さんが俺のことをかっこいい、かっこいい、と連発するので旦那さんが気の毒になる。彼らは日本語しかしゃべれない。運転手さんは親切に写真を撮ってくれた。俺は更に20分くらい走って、計50分後にPOVからメールを入れてもらったAntillano Hotelに着いた。運転手さんにお礼を言い、オテルに入る。フロントで名前を言うが、予約は入ってないらしい。やっぱりか、返事来てなかったもんなぁ。でも空き部屋があるので泊まれるようだ、よかった。68ドル前払い。ハタと、ここで気付いた。金をそれほど持っていない。100ドルちょっと持っていたが、CUBAの空港までのタクシー代計17ドルとコレクティーボ9ドル、差し引き74ドルちょっと。明日の空港までのタクシー代がどのくらいかかるか解らないので20ドルは残しておきたい。VISAカードを出すとフロントさんは現金のほうがいい、と言い、目の前に銀行があるから降ろして来いと言う。しかし、もう6時近い。銀行は営業してない。でも大丈夫だ、と彼は言う。ATMだ。不安。1回目、エラー。2回目、エラー。やばい、3回失敗するとカードを没収されるという噂を聞いたことがある。本当かどうか知らないが。困った。このままカンクンで野垂れ死にか。オテルに戻り、フロントさんに降ろし方が解らないと泣きつく。フロントさんも困っている。今は他に従業員がいないので持ち場を離れられない。と、屈強なガードマンが2階から偶然降りてきた。彼はここのガードマンらしい。フロントさんは彼に俺と一緒に銀行に行くよう頼んでくれた。優しそうなガードマンだ。助かった。彼のおかげで無事出金。俺は50ドル降ろそうとして、$50のボタンを押していたが、メヒコの通貨は$10(10ペソ)=$1(1USドラール)だったのだ。これまたCUBAと同じく表す記号が同じなのでややこしい。俺は小額過ぎて降ろせなかったらしいのだ。その場では納得したが、考えると何故降ろせなかったか解らない。あぁ、ただ単に俺がエスパニョルの説明を読めなかっただけか。宿泊費を払い、明日のタクシーの予約を頼む。朝4時45分出発でね。フロントさんは俺の解らんエスパニョルを一生懸命理解しようとしてくれているが、どうも通じないようだ。紙に絵と数字で書いたら一発で解ってくれた。しかも明日モーニングコールを入れてくれる。4時15分にお願いします。

部屋に荷物を置き、貴重品はもって飯を喰いに行く。MAKOからタコスが美味いと聞いているので、是非食べてみたい。近所をうろうろするが気に入った店が見つからない。カンクンは確かに安全なようだ。とゆーか、宿泊施設の人以外は皆、観光客じゃないか?結局オテルの目の前にスペルメルカドを発見。何か買って喰うか、と思ったら併設のカフェテリアがある。タコスらしきものの写真が出ている。わあい、美味しそうだな。店に飛び込み、若い男性店員をつかまえて写真を片っ端から指差し、これとそれとあれとこれ、と注文する。すると店員は困ったような顔をする。あれ、おかしいな。もう一度注文してみる。その店員は奥から別の女性店員を呼んでくる。女性店員は俺の注文を全て皿に盛ってくれてレンジで暖めてくれた。あの男性店員はきっと新人のアルバイトなのだろう。コーラを頼み、会計。4ドルちょっと。安い。こんなにたくさん山盛りで。全てをトレーに乗っけてくれたので自分で奥のテーブルに運ぶ。タコスに辛そうなソースをたっぷりかけてみたりして。粉チーズもたくさん振って。美味い!本場のタコスは美味いねぇ、と奥のテーブルから店内を見渡す。一番右端にトレーがたくさん乗っかっている。そこからステンレスの棒が3本、左に向かってガラスケースの向こう側に食材の入ったカウンターの前に沿ってスーッと水平に伸びている。日本の社員食堂や学食でよく見るセルフサービス形式のアレじゃん。新人なのは俺だよ。恥ずかしい。ま、いいか、美味しいし。訳の解らない理由で自分を納得させ、トレーを自分で片付ける。メルカドで明日の朝食用にパンとお菓子と見たこともない謎のジュースを買い、宿に戻る。オテルの部屋は素敵だ。広いし、設備はしかりしてるし。でも冷房効きすぎ。調節できない。シャワーを浴び、寝る。なかなか寝付けない。カピタンとの、CUBAとの別れが思い出される。

2月8日(木)

3時半に目が覚める。シャワーを浴びる。4時半、フロントに行くと既にタクシーは待っていた。フロントにお礼を言いタクシーに。行きのブスでは50分かかったが今度は20分で着いた。30ペソ、3ドラールか。10ドラール紙幣しか持ってなかったので運ちゃんに10ドルあげる。しまった、フロントさんにチップあげなかったよ。でもチップっていくらあげりゃいいんだ。ま、いいか。

コンチネンタル航空のカウンターに並び、チェックイン。レントゲン検査を抜けて出発ロビーへ。まだ6時前、店は開いてない。店が開いたらテレカを買ってCUBAに電話しよう。テレカを買い電話。かからない。通りかかる空港職員にかけてもらう。通じない。CUBAの通信事情が悪いらしい。あきらめた、日本からかけよう。無事着いたら報告も兼ねて。定刻どおりフライト。ヒューストンでトランジット。ヒューストンは外に出なくてもいいので楽だ。30分ほど待ち、成田行きへ。帰りは行きと航路が違うので14時間もかかる。

持参のMD聞いて、備え付けのテレビゲームして、機内食喰って、寝て、ジュース飲んで・・・。

どうしてこんなに涙が溢れるんだろう。止まらないよ、涙が。いつまでもいつまでも。

 

この旅は、俺にとって必要な経験だったのだろうか。

もしかしたら不必要だったかも知れない、

CUBAなんて国は知らなかった方が良かったんだろう。

貧乏だし

汚いし

差別はあるし。

 

ただ、CUBAという国を真正面から見据え、

わずかではあるが理解できたように思う。

「出会い」の大切さ、生まれて初めて経験した生きた人間との「別れ」の切なさ、

そして、自分の中に

まだ少し「思いやり」と「勇気」とが残っていたんだ、

と発見できたこと。

うれしく思います。

 

同じ地球にある

同じ海がつながっている

同じ月が見える

同じ風が吹く

同じ人間が住む国なんだから。

 

地球が感じられる国

涙が出ちゃう国

 

また、行くかな、CUBA

 

Adios, hasta un dia. Otra vez a CUBA !

 

 

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